「明治維新150年目の岐路に立つ日本」
前日の続き…
「美(うま)し国」日本の底力 著者:加瀬英明 馬淵睦夫
発行:ビジネス社 第1版発行 2017年10月1日
⦿仁徳天皇が3年間税金を免除したわけ
馬渕 日本の場合、天皇から見て国民というのは、ヨーロッパにあったような対立する存在ではありません。我々はヨーロッパの歴史ばかり学ぶので、王対貴族、ブルジョアというような主従の概念に毒されています。
これは要は、お互い対立関係にあるから、権限を制限するような契約を結んで主従関係になるということでしょう。
ところが、日本では契約はいらないんですね。なぜなら天皇にとって、国民というのは大御宝(おおみたから)、宝物だからです。
仁徳天皇の有名な話が古事記や日本書紀に出てきます。
民のかまどから煙が昇っていないのは、民が苦しんでいるからだということで、3年間は税金を免除するというエピソードがその最たる例です。
そして3年後に、国中の家から煮炊きの煙が上がるようになりました。そのときに、仁徳天皇が詠まれたのが、
「高き屋に登りて見れば煙立つ民のかまどは賑わいにけり」
というものですね。
このような天皇の御心に、国民は自らの事に尽力することで答えてきました。つまり、常に天皇を支えるのは国民であったということなのです。だから、天皇にとって国民は大御宝であり、みんな平等だったわけです。
したがって、我が日本は太古の大昔から、平等主義社会だったということになります。
⦿「和を以って貴しと為す」の真意
加瀬 「和を以って貴しと為す」という聖徳太子の言葉を指して、論語から借りてきた精神だという学者の人たちがいますが、そんなことはありません。
中国の論語というのは支配階級が、どうやって民衆を支配するかという統治論なのです。
一方、聖徳太子が言っている「和」というのは、人間も動物も植物も全部横並びで、自然の一つにすぎないという意味なのです。素晴らしい言葉だと思います。
たとえば二宮尊徳が『夜話』の中で、こんなことを言っています。
「農夫は勤労して植物の繁栄を楽しみ、
草木もまた喜びにあふれて繁茂する。
みな双方ともに苦情がなく喜びの情ばかりだ」
これは地上にあるものすべてが、横並びということなんですね。
二宮尊徳というのはそもそもお百姓さんの出です。
ところが江戸時代を見ると、士農工商の農工商から出た、つまり武家でない偉い学者というのがたくさんいるのです。
他にも平田篤胤(ひらたあつたね)という国学者がいます。この人は、「外国など追っ払ってしまえ」という思想の持ち主ですが、『静の岩屋(しずのいわや)(志都能石屋)』の中で、こういうことを言っています。
「外国々(とつくにぐに)より万(よろ)ずの事物の我が大御国(おおみくに)に参り来ることは、
皇神(すめらみかみ)たちの大御心(おおみごころ)にて、その御神徳の広大なる故に、
善きも悪しきの選(えら)みなく(略)
皇国(すめらみこく)に御引き寄せる趣を能(よ)く考え弁(わきま)えて、
外国(とつくに)より来る事物はよく選み採りて用(もち)ふべきこと」
外国のものはすべてNOと言って排斥しないで、そのうち良いものはどんどん取り入れて、我々の役に立つようにしましょうと言っているわけです。この平田さんという人は、江戸時代の攘夷の一番先頭の旗頭に立った人なんです。
馬渕 この中に大御心という言葉が出てきますね。外国の事物を取り入れるのも大御心であると。
これは天皇の御心ということですけれども、さかのぼれば、高天原の神々の御心ということですね。
古事記以来、みんな神様の子供だという発想があるわけです。人間だけではなく自然も含めて、みんな神様の子供だから同胞だという平等観があるんですよ。
今は学校で教えないので、こういうことを言うと驚かれる方もいるかもしれませんが、昔の人は、江戸時代はもちろんそうですけど、そういう事を知っていたのです。
===========================
Wikipedia:ウィキペディアより
二宮尊徳 尊徳座像(岡本秋暉作、報徳博物館蔵) |
|
尊徳座像(岡本秋暉作、報徳博物館蔵) |
|
時代 |
|
生誕 |
|
死没 |
|
別名 |
通称:金治郎(金次郎)、号:尊徳 |
戒名 |
誠明院功誉報徳中正居士 |
官位 |
贈従四位(明治24年) |
幕府 |
|
主君 |
|
藩 |
|
父母 |
父:二宮利右衛門(百姓) |
兄弟 |
尊徳(金治郎) |
妻 |
室:きの(中島弥三右衛門の娘、後に離縁) |
子 |
徳太郎(夭折)、尊行(弥太郎)、ふみ |
二宮尊徳 |
|||||
人物情報 |
|||||
生誕 |
|||||
死没 |
|||||
配偶者 |
きの、なみ |
||||
両親 |
父:利右衛門 |
||||
子供 |
徳太郎、尊行、ふみ |
||||
|
|||||
経世済民を目指して報徳思想を唱え、報徳仕法と呼ばれる農村復興政策を指導した。
|
コトバンクより 「夜話」について
二宮翁夜話(読み)にのみやおうやわ
世界大百科事典 第2版の解説
にのみやおうやわ【二宮翁夜話】
二宮尊徳の門人福住正兄が,師の身辺で暮らした4年間に書きとめた《如是我聞録》を整理し,尊徳の言行を記した書。1884‐87年正編5巻刊行。正編には233話,続編(1928)には48話を収める。尊徳の自然,人生,歴史観ならびに報徳思想の実体が,平易に,私心を交えず伝えられた,彼の全貌を知るための手引書である。冀北舎刊,のち岩波文庫所収。【塚谷 晃弘】
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます