LOVE&DESIRE

沖縄で頑張る爺バンドのブログだったがいつの間にか爺の独り言(涙)。

大先輩にサヨウナラ

2016-12-15 09:14:06 | 日記

 ここに書くか、会社のブログに書くか迷ったが、個人的に教わることも多かったのでこちらに書きます。

 93歳であるから大正12年ごろの生まれ。初めてお会いしたのは業界の運動会か何か集まりの席であった筈。当時、私は小学生。大先輩は先の大戦を生き抜き、戦後、沖縄の復興期から、そろそろ落ち着くころの大変な時代を生き抜いてきて、業界でも確固たる地位にありました。また、30代後半には青年会議所全国大会を復帰前の沖縄で開催する仕掛け人としての業績も残しています。

 大学3年で中退し、やくざなバンドマンになっていた私は、親父に言われて堅気のサラリーマンになったけど、どうしても会社勤めになじめないダメ社員でした。で、親父が取った手法は出向であり、大先輩に預けるというものでした。こうすれば私も真面目に親の顔を潰さずに仕事すると目論んだわけです。それは機能しました。真面目社員になりました。

 出向から一週間経った頃、大先輩の社長室に呼ばれ、(当時50代のバリバリ親父です)ビビりながら行くと「ハチ君、君、何故、挨拶に来ないか!」と一喝され、チョット説教されましたが、平社員で、おまけに出向社員、トップに挨拶なんてとんでもないと思っていた私に、チャンと見ているから頑張りなさいというメッセージでした。感謝です。

 出向中のドタバタは別の機会に書きますが、大先輩の朝礼の言葉「仕事中、眠くなったら寝なさい、ムリして事故が起きる方がもっと悪い」「営業は1日でノルマ達成できたら後の29日は遊んでもかまわない」と当時の建前社会では考えられないぐらい本音にして合理的だったのは脱帽ものでした。

 私の同級生が大先輩の義理の息子という縁もあり、また業界の役員でもあったので出向後もいろいろ教えて頂きました。例えば「我々、同業他社は兄弟である。喧嘩(営業での競争)はしても、殺し合い(潰しあうような商売)はするな。」とか、変わったところでは「琉球王朝、最悪であり農民からの搾取で成り立っていた」とか当時、このような発言をする方はほぼ皆無であったので唖然とした記憶もあるのです。

 青年会議所の新築移転祝賀会で大先輩に掴まり、1時間余り、立ったままで「君たち、何故、大切な記念品、書類等捨てたのか?」と説教されたのも、ほろ苦いけど素敵な思い出です。(犠牲者・私、N先輩の2名)

 晩年は業界の会議に時々出席して頂きましたが、お話が好き(後輩に自分の経験を教えるのが好き)なので、挨拶のスタートが(1)戦前(2)戦後(3)最近のパターンで始まりますが、戦前スタートだと小一時間話すので、事務局長と顔を見合わせて苦笑いしつつも、有り難くお話を伺ったのは良き思い出です。

 大先輩 その他、経済界で要職に就き、いわゆる恩返しの時代に入っていたようですが、過日、事故に合われ突然他界してしまいました。残念でなりません。同時にどんなに素晴らしい方でも、死は避けられない事実を実感しつつ、社会に貢献した大先輩にはもっと穏やかな晩年であって欲しかった。と思います。

ありがとうございます。そして、やすらかにおやすみください。

よんでくれてありがとうございます。