この4年間の願いが、報いられましたね。
おめでとうございます。
そして、お疲れ様でした。
もらい泣きして、しまいました。
井上康生監督は、我が宮崎のヒーローです。
オリンピックでは、僕らは今大会もまた、選手の無垢な涙に便乗させてもらって、気持ちよく泣かせてもらってます。
年齢を重ねるごとに、その涙する回数も、涙の量も、ドンドン増えてきます。
生きてる時間だけ、いろんな出来事や、いろんな場面や、多くの偶然と、遭遇してしまうからです。
とりわけ、見たい競技があるわけでもなく、応援している選手もいない。
なのに、何気に見てしまうと、種目がなんであろうと、ルールに詳しくなくても、いつの間にか、日本代表選手を、日本人として、無我夢中で、応援してしてしまっている、自分がいます。
それはきっと、選手もまた、同じだと思います。
選手は、自分がオリンピックと言う、国の代表を背負うから、他の大会よりも、やる気が全く違うようです。
選手の、その必死さが伝わってきます。
やるからにゃ、何が何でも、日本に、勝って欲しい。
絶対、日本には、負けて欲しくない。
気がつくと、日本を、無我夢中で応援しています。
選手=日本なのです。
日本人としての、アイデンティティが蘇る瞬間です。
しかし、試合が終わると、結果がどうあろうと、選手個人に意識は向かいます。
よくやった‼︎
お疲れ様、ゆっくり休んで、また、次に向かって頑張りましょう‼︎
そう、日本代表選手を、心から讃えたい気持ちになります。
それは、勝って嬉しくて…、負けて悔しくて…。
それを素直に表して、無防備に涙する、無垢な選手の姿に、心打たれるからです。
その涙に嘘がないことが、伝わってくるからです。
選手は、ここで初めて、涙することを許されるのです。
つらい練習を必死で耐え、ライバル争いを必死で乗り越え、涙を汗と必死で誤魔化しながら、孤独の中で、自分を励ましてきたのです。
アスリートとは、孤独との闘い、です。
人生そのものです。
無垢な涙に、僕等は、ある意味、羨ましさを、感じてもいるはずです。
なぜなら、僕等、一般人には、無垢な涙は、許されないからです。
毎日、生きてる限り、試合は続行しているからです。
試合中だから、気を張り続けねばなりません。
ある人は、世間と言う鎧に身を固め、ある人は、私は自由と言う鎧で固め、ある人は、自分を、私は不幸と言う鎖につなぎ、ある人は、自分に、私は幸せ、と言う
手錠をかけ、ある人は、私は自然体と言う、不自然な衣を自分に着せて…。
そして、今日も、ゲームは続きます。
試合後…
それが、人生にはありません。
だから、一般人は、試合後の、選手の無垢な涙が、羨ましくて仕方ないのです。
だから、その涙に、便乗してみるのです。
選手は、大粒の涙を、思いっきり流すことで、今日まで頑張ってきた自分は、自分が、誰より一番よく知っていて、"お前はよく頑張った"、そう自分を讃えているのです。
それは、選手が、試合後の存在を、知っているから、できることかもしれません。
人生において、人が無防備になれる、それはどんな時でしょう。
人生ゲームは、人生が終わるまで、続きます。
結局、ホントの自分も、無垢な自分も、自分には、とうとうわからないまま、人生は、終わるのかもしれません。
不条理と言うルールの中で…。
今宵も、ロックンロール‼︎