先日、施設の子を連れて、とある病院に通院した。
まだまだ出会って間もない子だ。
待合室に入ると、あちこち触り出す。
まぁ想定内である。
病院が苦手なようで少し不安そうな表情を浮かべながら、とにかく落ち着きがない。
そのうちに長椅子の上に寝転がり始めた。他の患者さんがいなかったのでまぁいっかと思いつつ、それでもなぁーと声をかける。
そこはベッドじゃないから座った方がおりこうだよー。
するとその子が一言。
この人と同じ格好してるだけだしなー。
指差したその先には…(笑)
そっか…まぁ神様がそうしてるのならいっかー(^^;)
ボクは公私共に、時と場合と相手によって、しつけの「べき」ラインを変化させている。
きちんと座る「べき」
静かにす「べき」
残さず食べる「べき」
などなど
要は注意ばかりにならないようにしている。
我が子ならともかく、施設の子についてはボクとの関係性、その子の特性、家庭背景、その日の心身の状態など考慮する必要がある。
どうすれば必要最小限に、伝えたいコトを感情的にならず伝えられるか。
ダメ!だけでなく、正しい行動を落ち着いて、分かりやすく伝えられるか。
大人だって感情的にグチグチ言われたら嫌なもの。
子育てのプロの腕の見せ所だ。
しかし、今回は壁の写真の中の神様(仏様?)に着目したその子の勝ちである(笑)
時に自分の負けを認めるのもそれはそれでテクニックだ。
子育てってメリハリが大切。
ふざける時はふざける。
真剣に伝えたい時は真剣に。
理屈抜きにダメなものはダメだって時もある。
何が正しいか分からないけれど、結果的に子どもが自然な笑顔を浮かべていたら、たぶん間違ってはないのかと。
ちなみにその子は不安そうにしながらも、ボクの手を握りながらおりこうに診察を受けられた(^_^)
児童養護施設の職員は親に代わって通院したりと医療機関との連携は必須である。
施設の子たちって何か不安なコトがあると身体のどこかが痛くなりがち。
逆に言うと、どこか痛みを訴えた時は何かが不安だっていうサインなのである。
時には身体的には意味のないバンソーコを貼るコトも。
心や身体の痛みを否定せず、そうかそうかと共感するコトにはきっと意味がある。
いや、絶対に。
血の繋がりのないボクたちに出来るコトは限られている。
でもボクたちだからこそ出来るコトもある。
傷ついた子ども達が心身ともに健康で、安心できる人生を歩めますように。
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