コミュニティ会議主催のふれあい学級「移動研修・九戸城の歴史を学ぶ」に参加して来ました。昨日から天候は一転し、朝方は寒くなって日中は湿気がなく爽やかな陽気になりました。研修先の二戸の最高気温は快晴にも関わらず27.3℃で、日差しをもろに受けても耐えられる天候でしたね。やっと暑さから解放されたって感じですよ。
国指定史跡である九戸城跡へは退職してから一度来たことがあり二度目になります。南部氏の一族である九戸氏が当初は二戸市の北東にある九戸村に城を構えたが、交通の便が悪く現在の場所に移って来たもの。平野の中にある山に築城された城になっており、馬淵川などを外堀とし、河岸段丘上に築城された天然の要害だったとのこと。九戸政実(くのへまさざね)の乱の後に、南部家の本城となり後に盛岡の不来方築城によって移るまで南部氏の居城となり福岡城と改められたようです。そして城は1636年に廃城となり、原形を留めることなく壊されてしまいましたとさ。
【今日の七枚】ふれあい学級での写真です。
東北自動車道岩手山SAから岩手山を撮った写真です。快晴ですね。
九戸城跡での二の丸付近です。
同、本丸南側の堀と石垣です。
同、本丸付近です。
カシオペアメッセなにゃーとの展望台から撮った二戸駅周辺です。
南部煎餅の里でのせんべい広場から奥には北のチョコレート工場&店舗が見えます。
同、小松製菓・巖手屋(いわてや)創業者である小松シキ記念館内での展示物です。
国指定史跡である九戸城跡へは退職してから一度来たことがあり二度目になります。南部氏の一族である九戸氏が当初は二戸市の北東にある九戸村に城を構えたが、交通の便が悪く現在の場所に移って来たもの。平野の中にある山に築城された城になっており、馬淵川などを外堀とし、河岸段丘上に築城された天然の要害だったとのこと。九戸政実(くのへまさざね)の乱の後に、南部家の本城となり後に盛岡の不来方築城によって移るまで南部氏の居城となり福岡城と改められたようです。そして城は1636年に廃城となり、原形を留めることなく壊されてしまいましたとさ。
【今日の七枚】ふれあい学級での写真です。
東北自動車道岩手山SAから岩手山を撮った写真です。快晴ですね。
九戸城跡での二の丸付近です。
同、本丸南側の堀と石垣です。
同、本丸付近です。
カシオペアメッセなにゃーとの展望台から撮った二戸駅周辺です。
南部煎餅の里でのせんべい広場から奥には北のチョコレート工場&店舗が見えます。
同、小松製菓・巖手屋(いわてや)創業者である小松シキ記念館内での展示物です。