中学校の担任だったKNA先生の講演があるとのことで行って来ました。社会科の先生だったが、演題は「稗貫・和賀の百姓一揆」~なぜ全国で一番多かったのか~。会場へ入って既に席に着いていた先生を遠目に見ると、昔と変わらないなと。せっかくなので講演の始まる前に、挨拶に行ったところ、私の事を覚えてくれていましたよ。出来の悪い生徒だったので、覚えてくれていたのでしょう。話を聞くと、同じ行政区に住んでいて、中学校に通う時から同じだよと。年齢は84歳になり、耳が遠くなった来たとも。失礼かもしれないが、近くで見るとやっぱり年取ったなあと感じました。
講演では若干、聞きにくい所はありましたが、まだまだしっかりとした話し方で、良く見るとイヤホンを付けていましたが、84歳で人前でしゃべるなんて凄いなと。話を聞いていると、こんな話し方だったなあと記憶が蘇ってきましたね。
話の内容は、江戸時代に約200の藩があったが、南部藩が全国一の百姓一揆があったと。その南部藩の中で、稗貫が一番多く、次に和賀だったと。理由としては、穀倉地帯であったこの地域に、南部藩は重い年貢や税を掛けたのでは。結束力と力量のある村々が多かったのではとも。ちなみに、一揆を起こした村の最高指導者は、打ち首になったとのことです。
講演中の先生の写真を撮ったので、今度自宅に持って行こうかと思います。ついでに、観音様についても資料を見て貰って、何か助言を受けれればなと。
講演では若干、聞きにくい所はありましたが、まだまだしっかりとした話し方で、良く見るとイヤホンを付けていましたが、84歳で人前でしゃべるなんて凄いなと。話を聞いていると、こんな話し方だったなあと記憶が蘇ってきましたね。
話の内容は、江戸時代に約200の藩があったが、南部藩が全国一の百姓一揆があったと。その南部藩の中で、稗貫が一番多く、次に和賀だったと。理由としては、穀倉地帯であったこの地域に、南部藩は重い年貢や税を掛けたのでは。結束力と力量のある村々が多かったのではとも。ちなみに、一揆を起こした村の最高指導者は、打ち首になったとのことです。
講演中の先生の写真を撮ったので、今度自宅に持って行こうかと思います。ついでに、観音様についても資料を見て貰って、何か助言を受けれればなと。