朝6時前にお袋から電話があり、農協本所のスタンドが7時から開くとの話(農協に勤めている甥っ子からの情報)。ガソリンは入れずに乗り切ろうと思っていたが、気仙沼に行くことにしたので、昨晩から何処で給油したら良いんだと思っているところだった。高速道の岩手山SAでは並ばずに満タンに出来る情報もあったが、近場の紫波SAのスタンドに電話したところ、開いているがもう既に先が見えないほど並んでいると。そうこうしているところでの電話だった。
6時過ぎに行ったが既に1km以上か並んでいる状態。遂に私もガソリン難民になった。7時前から車が動き出し、2時間後にやっとスタンド内へ。そこはセルフであったが従業員が応対していて、いつも通り「カードで満タン」と話したところ、「現金だけで、3千円分になります」と。いたしかたあるまい。単価146円で20㍑しか入らない。スタンドを後にしようと思ったが、そんなに車が並んでいなく、最初に並んだより半分弱くらいの距離で、また並ぶことにした。今度は30分で給油することが出来、2時間30分で40㍑を確保し、ほぼ満タン状態となった。帰り際、別のスタンドでは長蛇の列で、結構ラッキーだったと。
釜石線は不通で代行バスが花巻駅から出ていることから、10時半出発に乗車し釜石へ行った。小佐野駅で降りまずはIWさん宅へ。チャイムを慣らすと本人の声が。「無事でなによりでした」と。地震当日は車で逃げ、高台の小学校で車の中で一夜を過ごし、1晩だけ行方不明になっていたと。ABさん、KMさんとも元気で、UNさんが明後日来るという連絡があったと。
前の職場に行って、用務員のKWさんの状況を確認。本人は午前中も出勤し元気だが、母親が津波に流され、2月末には父親も亡くしていたとのこと。ダブルのショックです。前にここで勤務していたことを告げ、本人の携帯番号を聞いた。KWさんから知人の情報を得ようとしたが、そういう状態では・・・。大槌出身のKMさんを訪ねたが不在で、帰ろうとしたところ、顔馴染みの人が。盛岡転勤だが、今住んでいるアパートの管理人と連絡が取れないと。今度盛岡で会おうということで別れた。
住んでいたマンションに行ったが、大家さんの1階は電気が付いていなかった。裏側の昭和園グランドでは、仮説住宅の建設が始まっていた。このグランドは甥っ子が試合をしたことがあり、私もよくランニングをした所である。
市役所の知人を確認するため、教育センターへ行ったところ、KWさんかと思って近づいてみると、本人でほんと偶然の遭遇であった。「両親を亡くして残念だった」。本人は気丈に話をしてくれたが、母親はここにいれば大丈夫だろうという場所に避難していたそうで、津波が来た時に母親の手を引いて、もっと高い所に行く途中波にのまれた。本人は全身水につかりながら、なんかの物にしがみついたが、母親は流されてしまったと。ほんとに想像を絶する津波が押し寄せたのだろう。大渡橋からの町側と駅側とは被害が全然違い、甲子川を超えるまで、街中はがれきの山で歩けず、一山超え線路を歩いてこの付近までたどり着いたと。KWさんからは、金ちゃんは盛岡に居る息子の所に行っていて、市役所のNBさんはこの教育センターで会い、NZさんの自宅までは津波が来なかったと情報を得た。母親の火葬の手続きをしに行くということで別れたが、あらためてお悔やみ申し上げます。
良く行ったライブハウス”サザン”。KWさんからは、改築していたという話だったが、がれきを取り除いていただけのことかな。おばちゃんが歩み寄って来て、何屋さんと言われ、前に釜石に住んでいて、この場所へもたまに来ていた者ですと。そのおばちゃんは、がれきを自分の駐車場の置かれてたことに立腹しているようだった。
夕方5時発の釜石駅発のバスに乗り込み、バスの中から、大家さんご夫婦(電気が付いていた)、顔見知りの文房具屋の人を確認し、3時間かかって花巻駅に戻って来た。行く時もそうだったが、帰りも雪降りとなり、被災地にとって寒い日が続きそうである。