ばーばの独り言

愛する娘へ。孫と過ごす喜びと身辺の出来事

☆ 母とムクドリ

2008-08-04 01:12:55 | 孫・家族
今から30年位前のこと、母がムクドリを飼っていたことがある。
私が30代の後半くらいだったろうか?
実家は新宿の大久保駅の近くなのだが、我が家の前には
M金属鉱業の家族寮が10棟以上建っていた。
うちの周りは「寮」が多く、NHKの寮とか農協の寮とか
寮がたくさん建っていた。
M金属鉱業の寮は1棟が上下2軒の建物で、20所帯位だったろうか。
モルタルか古びたコンクリートな感じの建物は、
今考えると狭くて、黒い黴や緑の苔があちこちこびり付いていた。

ある日、その寮の人たちが引越して行き、無人になったと思うと
その家を壊す工事の人が大勢入って来た。
工事が始まった。 どんどん建物が壊され
トラックが残骸を運んで行く。
更地にした後にどんなものが建つのだろう?
嫁に行った身で、時々実家に孫の顔を見せに来ては
2階の窓から寮の跡地を見ていた。

ある日実家に行くと、上を切り取った小さな段ボール箱の中に
何羽かの雛が居て、ピイピイと上を向いて大騒ぎしていた。
ニワトリのヒヨコにしては、顔が大きく口が大きく中が赤い。
ガリガリ痩せててひっきりなしに、クチを開いて餌を要求する。
一目見て(痩せて醜い)と思ったのは、羽が未だ生えていない、
丸裸の状態だからだと後で気がついた。


名前の分からない鳥の雛を引き取ったいきさつを母に聞くと
外に出ていると、ピイピイ鳴く雛を何羽も抱えた人がいたそうな。
それは工事の人で「どうしたのか?」と母が訊ねると、
「壊した家の戸袋に、生まれたばかりの雛がいた」と困っていた。
それで母は捨て置けず、そのまま雛を家に引き取ったという。
な~るほど!


骨っぽい雛は、大きく開いた口の中しか見えない。
何しろ下を向かないのだから顔が見えない。
見えるのは口の中だけだ。
「はやくエサをくれ!早くエサをくれ!」と強要されているようで
ぎょっとした。 
エサは、近くの鳥を扱うペット屋さんに聞いて、何かの粉に
お湯を入れて柔らかくして、割り箸に着けて食べさせていたと思う。


ふわふわのヒヨコのように、幼く可愛いという感じではなくて
かなりの違和感はあったがそれでも羽が生えてくるにつれて
外見は少し可愛くなっていった。

そのうち、雛の数はどんどん増えていった。
「雛を引き取ってくれる。」と知った工事の人が
何巣も家に届けに来たらしい。
その季節はムクドリの出産シーズンだったらしいのだ。
一時は20羽以上居たような気がする。
工事がもう何週間か遅かったら、自然に巣立ったろうに。


居間のすみのダンボール箱の中に居た雛は数が増え、
育っていくにしたがって、場所が必要になる。
私が娘時代に使っていた7畳半の部屋は、
その頃はソファーが置かれ、応接間として使われていたが、
いつの間にかヒナドリ専用の部屋になった。

もう雛とはいえない、ヒナとトリの間の子でヒナドリ。
ヒナドリは応接間を飛び交い、ソファーに糞をし、
絨毯に糞をし・・・・・

しかし、母も大変だったけれど、父も偉かったと思う。
そんな状況を許していたなんて!
しかし、この糞だらけの部屋は、かつては私の部屋。。

それでもヒナドリがなついて、肩にとまったり、エサを
私たちの手から食べているまでは平和だったのだが、
その内、顔が鋭くなって野性の顔になり、寄って来なくなった。
呼んでも、鋭いくちばしで突つかれるだけで 痛い!

母もペットショップの人と餌の相談をしていたらしいが
だんだんスリミにしたものなど食べなくなったようだった。
本来は野生の鳥が、巣の有った家が壊された縁で
しばらくの間、母の手に託されたのだった。

ついに成鳥になって野生が芽生え、人間の手に
負えない時期が来たようだった。
何羽かは餌を受け付けず、弱って死んだのだと思う。
聞くのは辛いから聞かなかった。
母はもっと辛かっただろうに。
だから20羽以上が全部成鳥になったわけではない。
半分もいなかっただろう。

その後の事は詳しくは知らないが、別れの頃は
ずいぶんと母は思い悩んだと想像する。
私の弟が今度は大きなダンボールに入れて車で運び、
何羽かを神奈川の大和の森に放したそうな。
「うん、飛んで行ったよ。」と弟は言った。
「生き残るのは無理かも。生きれたら良いね。」
と顔は曇っていた。


そのうち一羽でも野生に返れたら
そしたら母も報われただろうに。












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6 コメント

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うららさんへ (ばーば)
2008-08-15 02:04:50
私もせっかくコメント書いたのにと、何度も「投稿」押しても跳ね返されてやりなおしが続き、コメントを諦めた事が何度もあります。

やっぱり変なコメントが多いからでしょうね。
私は今は迷惑メールが多いです。
アドレス元無しのメールは入らないようにgooさんは
出来ないのでしょうか?

ご両親健在とは羨ましいことですが、ご苦労もいろいろとあると思います。 
私も長生きしたくない、と言いながら、病気にはなりたくないと矛盾しています。
私も今だって現実を受け入れたくない事、たくさん有りますよ
返信する
はりきってコメントを! (うらら)
2008-08-14 21:28:50
ありがとうございました!!

久しぶりにPCあけてコメントを…と何日か前から四苦八苦でした

私の身近にブログの精通者が居なくて…

以前は普通に4桁数字を入力しても問題なかったのですよ~~セキュリティーの強化とやら、
でも相変わらずの気味の悪い迷惑メールがコメント欄に入り込みます、あまり成果は見えない様ですが

私はまだ両親が健在で私達子供が現実に振り回されている状態ですが、6歳で亡くした実母の愛情は断片的に思い起こします
現実の両親を見ていて、私達子供の考え方一つですね
父等は中々現実を受け入れられないようです

返信する
ちょこさんへ (ばーば)
2008-08-10 14:27:13
そうですね。
母は、如何にも昔の母といった優しい人でした。
自我の強い私にとっては、母の自己主張の無さが、歯がゆくてじれったくて腹を立てていた時期もありました。 
ムクドリは小さいときは可愛かったのですが、大きくなると。。  世話は毎日の事ですから母は苦労したと思います。
母の愛情の大きさに私は敵わない、と今更ながら感じる昨今です。
でもね、宮城の度重なる地震の時に、各部屋に分かれたお子さんを必死に探し回るちょこさんの姿に感動しましたよ。
返信する
ムクドリ (ちょこ)
2008-08-09 14:02:13
お母さま、優しい方ですね。鳥のヒナ持ち込まれるだけ全部を世話するなんて、なかなかできないと思います。ムクドリは鳴き声はうるさいし、どこでも糞するし大変でしょうね(;^_^A部屋ひとつ占拠されてまで育てるってかなり根性ないと耐えられないですよね。

人間に育てられても、野生の本能は消え去るわけではないと思います。わりとたくましいのではないでしょうか、子孫のムクドリの群れに代々語り継がれているかもしれません。
返信する
オールドレディーさんへ (ばーば)
2008-08-05 00:33:38
20羽以上なんて並大抵のことじゃないですよね
言葉がキーワードになって、昔の出来事やいろんなことを連想します。 母は優しい人でしたが、私は自己主張の強い娘になりました。 
時代というのもあったのでしょうか。
生き物を飼うのはどんな小さな命でもその命に対して責任を感じてしまいますね。 
 
飼っていた文鳥が蛇に飲み込まれる・・
凄い恐ろしい事がおこったのですね!
それってトラウマのようになってしまいますよね。

昔の思い出は優しくて、父や母に守られていた幼い時もあったのだと懐かしいです。 今や大祖母ちゃんになってしまいました。 時は休みなく・・ 
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Unknown (オールドレディー)
2008-08-04 09:02:56
イイ話ですね。
お母様の優しさが伝わってきます。2、3羽ならいざ知らず20羽となると、大変だったろうと思います。
大きくなるとなおさらのこと、でも野生に帰してやった鳥たちはきっと今に生きつないで、子々孫々元気でいると思いたいですね。

生き物を飼う、それも鳥は犬やネコと違ってか弱いので大変な手間が掛かります。
私も迷い込んだ文鳥を飼った事がありますが、エサや水替え、巣の掃除と手がかかりました。
でも、部屋に放すと手や頭に乗ってきてかわいいものでした。
結局かごの中に蛇が入ってきて飲み込まれてしまいました。その蛇の怖くて憎たらしかったこと、今から35年以上も前の話です。

昔の思い出に浸ることも楽しいですね。
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