この記事は、過去に書いたもので、非公開にしていたものです。
投稿日時も、そのままにしています。
過去の非公開記事から、見つめなおす為、公開してます。
人は生きていくうちに
いろいろな事があると
思います。
今、思い出せば
病気になり何度
泣いた事だろう。。
6年前、妻が交通事故に遭い
入退院を繰り返し
苦しんでいる姿に
心が泣いたこと。
5年前、私の病気が発症し
何で自分がと想い
苦しさで泣いたこと。
3年前、新潟中越地震で
妻の実家が全壊し
泣いたこと。
職場のメンタルヘルスを
して欲しくて仲間のために
声を上げ、周囲の人に理解
して貰えず、悩み・苦しんで
心が泣いたこと。
私自身の存在自体すら
自分自身が疑っていたとき
あまりの苦しさに自殺未遂をしたとき
どうして良いか分らなかったとき
そんなとき
姿も見たことの無い方から
『ぶきようだけれど』
見て欲しいとコメントが来ました。
それを見て私は泣きました。
たかが、物語だけど
そんな私の心に響きました。
こんな私でも
何か人のために出来るんじゃないかと。
こんな私でも生きててもいいんじゃないかと。
存在していることに意味があるんじゃないかと。
思いました。
出来ることがあるとすれば
苦しみ・辛さを分かち合うことじゃないか。
と
長く悩みながらも
少しだけ、気づきました。
このときの想いは
私の心の中に
姿も見たことが無い方へ
感謝の気持ちとして
今でも残っています。
また
その時の気持ちを忘れないように
ときどき、見ています。
今、
苦しい想い
辛い想いを
されている方へ
『ぶきようだけれど』をお送りします。
どうか
ご覧になって下さい。
『ぶきようだけれど』
http://www2u.biglobe.ne.jp/%7Emacopism/swup/flash/shy/data/slow.html