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12月8日

2016-12-09 16:59:34 | 日常の出来事
 昭和16年12月8日は太平洋戦争の始まった日だ。うさぎちゃんは終戦の小学4年生まで戦時中の小学校に通った。
当時の事はよく憶えているが、思い出したくはない。
 戦中、戦後を親の庇護のもとに生き延びて来た。

 今。テレビで内戦の続いているシリアの子供達が映し出されると、わがことの様に胸が痛む。
何とか一日も早い停戦を待ち望む。幼いころに受けた衝撃の想い出は一生涯忘れることはない。

 今、戦争を肯定するような発言する人には何時も、小学校でなに覚えたんだと言いたい。
小学校だけではない。中学になって「新しい憲法のはなし」で戦争の放棄を学んだはずだ。

 当時の事は教室のなかまでありありと想い出す。先生も教室も足りなくて2クラス合併の授業の多い中、
来る日も来る日もこの「新しい憲法のはなし」を学んだ。お蔭で「戦争の放棄」は今でも私の脳裏に焼き付いている。

 戦争で何一つ得るものはない。大きな痛手ばかりだ。
今後、未来永劫に戦争を起こさないことを切に願う。

もう一つこの戦争が始まった日、私は幼稚園の園児だった。何時もと違い先生が来られないどうしたんだろうと思っていると、先生が息きって入ってこられ黒板に(わが皇軍は真珠湾攻撃、戦闘に入れリ)と大きく書かれた。よく解らないまま子供心にも異常が感じられた。帰って母に訪ねて戦争のはじまったことを知った。といっても戦争とはどんなものかも知らず鬼ごっこかかくれんぼのような感覚だった。

 小学校に入学しこの12月8日は行軍のある日だった。1年生の時雨上がりの寒い日に片足水たまりに入ってその冷たいこと、あまりの冷たさに反対の足に履き替えようと思ったが左右違うのでそれもならず、あんな冷たいおもいしたの初めてだった。
 2年生の時も寒い寒い日午前中歩きがけ下で震えながらお弁当食べた。余りのつめたさに、このお弁当のど通らなかったなあ。
 3年生はどうだったか?
 4年生は終戦の年、勉強どころか、通学もままならず家と学校を往復するのみ、戦後は戦前の教科書がつかえず何を勉強したのやら?  こんな体験、想い私たちで終わった。

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