OCNから届いたメ-ルを見ていてgooの無料のブログの案内があった。画像も挿入できるとあったのでとりあえず開設した。画像と言うほど入れる訳ではないが。ちょっと入れたいと思うことがあるので。今使っているOCNのブログはじめの一歩は画像は挿入できない。
今日友人の絵の個展に行ってきた。精力的に沢山描いて画廊いっぱいに展示してあった。懐かしい神戸の公園や風景、油彩、水彩ともに観ごたへのあるいいえだった。彼女、隔年ごとに個展はなさっているが、何回目になるのかしら。この度はじめて画集を出版された。購入したいと思っていたが頂いた。高価なお品頂くの申し訳ないと思いながら頂いてしまった。
ついでに(いえ、これが本命かも?)博物館へインカ・マヤ・アステカ展に行ってきた。これはもうどうでも観たいと思っていたので、開館前に行き開館を待って入場、よく空いていてゆっくり観れた。何時の時代にも先人たちの知恵に驚かされる。どうして高い山の上に石作りの建造物を建て国家を造っていったのか、国の産物で交易、王さまが神官、指揮官、民を食べさせる王様と3役いずれも最高責任者だ。王さまが抜きんでて偉いときはその国は発展していったようだ。戦争をするのは、神に捧げる生贄にするための捕虜が必要だったからだそうだ。また、ミイラ信仰も今だと理解できないが、当時は神には生きた心臓を捧げる。死者は蘇ると信じられていたそうだ。死者と共に暮らす、ミイラにお供えしたり、衣服を着替えさせたりもされていたそうだ。末裔はミイラ信仰が禁止されている今でも、隠れてミイラ信仰をしている人もいるそうだ。ミイラといっても、私たちが思う死者という感じはなく、きれいな物体というか、きれいに手入れされた人体みたいだった。またミイラには別の意味もある。内臓を取除き、その中に食物が詰められていたと解説されていた。食べ物に困らないようとの願いもあったようだ。
以前イギリスへ行った際、大英博物館へ行きエジブト館を観たときのこと、顔にはマスク、身体は布でぐるぐる巻きされ、ケ-スに入っていた。初めて観たミイラだった。その時もミイラって死者って感じはしないと思った。神様って感じなんだろうなあ-と思ったことを想い出した。写真を撮っていると友達はよってたかって、今夜化けて出るとか、ヒャ-化けて出るとか散々言ったが、帰国するとみんなミイラの写真欲しいと言われ手差し上げた。それに引き替え今度のミイラは、親しみを感じるミイラだった。観てよかった。ミイラが観れただけでも行った甲斐あった。
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