16日は北海道ロードレース、ハーフマラソンに参加予定。ただ、天候が心配。大雨で豊平川が溢水したため、コースが大幅に変更された。
『釧路文学運動史(昭和編)』(鳥居省三著 釧路市 1969年刊)
自分の生まれ育った土地の風土が、その人の感性や物事の考え方に与える影響について。
9月の終わりに釧路へ行った。人通りの絶えて久しい北大通に豊文堂書店という古本屋がある。
「釧路関係の本はどこにありますか?」
「この辺りです。」
本書は、釧路市が1960年から発刊している「釧路叢書」の第十巻目、当時市長だった山口哲夫が序を書いている。著者の鳥居氏は、釧路を代表する文化人、編纂事務局には富永巌、大道寺博、佐藤尚らの名前が見られる。
昭和の初めから敗戦までの20年間の文学史だが、詩作の他それほど盛んなものは無い。「文学不毛の地」といってもいいだろう。思えば、米も採れず、作物の生育も悪い冷涼な気候、人々は文学などにかぶれる余裕など無く、ただひたすら今日のために稼ぐ。炭鉱、水産・・明日の命の保障はない暮らし。
子どもの頃、「いいふりこき」という言葉を良く聞いた。カッコウを付けること、気取った言葉を使うこと、まして文学などこの地では。
戦前に活動した著名人では更科源蔵くらいか、戦争末期の大政翼賛会の頃には、子ども心にわずかに知った名前が出てくる。作熊宏平(市助役)、栗林定四郎(釧路栗林運輸会社社長)、船戸秀一(釧路郵便局長)、阿部力蔵(漁業)、菅原覚也(本行寺住職)、山本武雄(市職員、のちに市長)など。
秀逸なのは、著者がまとめた巻末の年表である。昭和2(1927)年3月15日台風のため漁船に被害、同じく4月24日雌阿寒鳴動を開始、9月15日釧網線釧路標茶開通とある。昭和3(1928)年2月6日八千代座でトーキー上映、2月28日秩父宮来釧、昭和5(1930)年7月丸三鶴屋デパート開業、昭和7(1932年)8月1日市制実施10周年記念式典、9,522戸、51,586人・・昭和11(1936)年9月27,28日天皇行幸・・昭和20(1945)年7月14,15日空襲を受ける、罹災1,600戸、6,000名、死者177名、重軽傷者143名とある。