晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

脱原発の風景 

2012-07-22 15:15:06 | Weblog

 営業が挟まりながらも何とか週末ランを欠かさず続けている。走りながら様々なことを考えた。9月の末から10月の終わりにかけて、旭川ハーフ、室蘭白鳥大橋ハーフ、北海道ロードレースと3レースに出場することを決めた。気持ちが入るように目標を掲げた。

 フクシマの事態に対する東京電力の対応もまことに横柄なものであったが、北海道電力もこれに劣らず酷いものである。記者会見における幹部の話し方、特に前社長はエリート意識丸出しで相手に不快感を催させるものだった。さらに、今回は計画停電の地域割りという一歩間違えば人命にも関わる通知をいとも簡単に間違えてしまうという失態。今どきこのような体質の会社があるのだろうかと不思議な感覚に囚われる。

 北電は、この夏における需給逼迫を理由に、節電要請、計画停電と道民への恫喝を行なっている。しかし、本命は冬場であろう。北海道の場合、冬季の停電ともなれば、寒さを我慢するというレベルでは無く、多くの凍死者が必ず出るであろう。従って、現在ある手段は泊原発を再稼動させる以外にはない、という論理だ。され、脱原発デモの参加者は現実としてこれにどう答えるのであろうか。

 私は、現状の電力会社及び政府機関の手による原子力発電には反対である。電力会社は、公益事業という性格を人びとのために奉仕するというより、自分たちのやり方が唯一正しいとする独善性として解釈し、また他に競争関係の無い地域独占企業としてあぐらをかいている。(同じ公益事業でもガス会社は、プロパン供給会社との競争関係があるので、電力会社とはかなり体質が違うように感じる。)

 東京の脱原発集会に17万人が集まったと報道されている。(鳩山由起夫が参加したことは、野田さんと同じで「どうでもいい」ことだが。)この事態をどのように解釈したらよいのだろうか。大飯原発の再稼動を許さないという民意であることはもちろんだ。しかし、参加者の考え方は多様なのであろう。

 各々の原子力に対するスタンスは異なる。一切の原子力に反対する者、人類は原子力を利用することから完全に撤退するべきという者、今の電力会社の横暴に反対する者、フクシマを繰り返してはいけないという者、様々な意見を持っているのであろう。

 私は、この原子力発電を含むエネルギー問題の底には大きな問題があると感じている。今は、仮説を試みるしかないが、原発事故後あれほど騒いでいた地球温暖化が全く聞こえなくなった。そこからは、「温暖化防止=原発推進だった」という仮説が成り立つ。言われている脱原発の方法としては、太陽光、風力、水力などの自然エネルギーを増やすというものであるが、それらだけではとうてい必要なエネルギーを賄うことができない。どうしても原油や天然ガスに依存する火力発電に比重がかかる。しかし、火発は、大気汚染の問題を引き起こす。また、原料の供給が不安定である。

 シリアを巡って現政権維持のロシアと反政府組織を支援する米国、反米のイランを制裁したい米国、中東有事になれば、原油が高騰し、電力料金も跳ね上がるであろう。そんなことになっても17万人の方々は、何があっても未来永劫脱原発なのだろうか。

 私は、放射線の研究はもっと進めるべきであり、人間の制御能力はもっと高まると考える。また、利用の可能性も医学や考古学などの他、もっと広がるのではないかと考える。さらに、原子力発電も、核分裂による熱で水を温めタービンを回すといった原理ではなく、例えば、核分裂自体から電子そのものを取り出し電力に変換するといった原理(可能かどうかはわからないが、現状と違う原理を見出すことが重要と考える。)、根本から発想を変えてみるべきではないかと考える。

コメント
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