晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

4.28 沖縄デー

2013-04-29 15:10:49 | Weblog

 かつて4月28日は、沖縄デーだった。全面講和か片面講和かで国論が二分され、この国は沖縄を切り捨て米国傘下に入るという道を選んだサンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日に抗議する日であった、はずであった。蛇足だが、孫崎享氏の「戦後史の正体」を読んで、『昭和天皇はGHQ側に対して、「沖縄を半永久的に軍事占領していてほしい」と伝えていたことにはびっくりしました。沖縄の人たちはこの事実を知っているのでしょうか。』(引用)と自分のHPに書いたある日共地方議員は論外としても、昨日の政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」は、アベの意図が何であれ、私たちに改めて沖縄を再認識するキッカケになってしまったのではないか。

 4月27日の連合中央メーデーに社民党が招待されなかった。日共は、かなり前から単独のメーデー集会を開催している。いわゆる護憲勢力、旧左翼、戦後民主主義者がこの国の中で圧倒的少数者になっている。いつでも、「今、ここ」を認識するのは難しい。私が自戒を込めて、ここでいつも述べている「あくまで自分たちだけが正しい」、「国全体が右に偏ってしまったことが誤りなのである」、という主張ははたして妥当なのだろうか。憲法9条の理念は世界に拡げるべき理想主義には頷くことができるが、私たち(左翼)は、この国の奇跡としての戦後の繁栄と平和が沖縄の犠牲の上にあるということに自覚的であったろうか。

 昨日(4月28日)、アベ式典の時間には、立命館大学国際平和ミュージアムにいた。15年戦争に関する資料を丁寧に収集し展示していた。見ごたえ十分である。中でも、2007年4月に伊藤一長長崎市長が銃撃され亡くなった時に着用していたスーツとワイシャツに強烈な印象が残った。スーツには、直径数ミリの弾痕が2箇所、その横には血だらけのワイシャツ、身体に入った時には小さな弾が回転しながら内臓を抉り取る。銃弾を真っ直ぐに狙い通りに飛ばすためには回転をかけなければならない。それが、弾の威力を増す。

 過去の歴史を振り返り、批判や反省をすることは比較的たやすいことだ。しかし、その過去の時点で、「今、ここ」の事象をどう捉え、どう考えるかは中々容易なことではない。体制翼賛化していったこの国の歴史を振り返った時、反戦運動に対する苛酷な弾圧があったとしても、私にはどうして戦争に反対できなかったのかが理解できない。良くない戦争と理屈ではわかっていても、いざ身内が敵に殺されれば、相手に対する憎しみを抱く、復讐心を持つ、ここを克服するのが難しい。

 

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