晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

清水正之 『日本思想全史』

2015-02-11 20:01:05 | Weblog

 アスペンホテルの日替わりランチ(コーヒー、デザートが付いて1,200円)は、いつも賑わっています。

 今日、2月11日は神武天皇が即位した日として戦前は「紀元節」、現在は「建国記念の日」として祝日である。報道によると各地の集会では、毎年同じように一方は憲法の改定を叫び、もう一方は、平和を守れと主張している。しかし、僕はそのいずれもが歴史の虚構を前提とした議論ではないかと考える。その根拠の一つは、以下の著作からも明らかである。

 『日本思想全史』(清水正之著 ちくま新書 2014年刊)

 本書は、神話時代から現代までの2000年にわたるこの国の人々の思想を網羅している。神代から読み進めていくとあたかも壮大な歴史ドラマを見ているような気分になる。新書ながら400ページを超える著者清水氏による渾身の力作である。

 最近の僕は、一冊の書物を読んで何かひとつでも心に残ることがあり、考えるきっかけがあればそれで良いとしている。

 日本思想史上の初源と先端(吉本隆明の言葉から)を考えると、歴史における初源、最初の成り立ちのところが解明できるということは、先端すなわち現在から未来を見通すことに繋がるということになるのだが、この国において決定的なことは以下の本書からの引用に書かれている。

 (P23引用)「五世紀まで文字をもたなかったこの列島のあり方は、まずは他者すなわち中国の書物に記載されるというかたちで、初めて文字化された歴史に登場する。歴史上のある時期まで、他者のまなざしを通してしか、その起源をうかがうことができなかったということは、今に至るまでの日本の思想文化の深部に関わる問題であろう。」

 僕は、数学のベクトル ↗ を連想する。起点と終点が直線で結ばれ、その方向を先端の矢印が示す。この国の歴史は、この起点を自ら定めることができない、かろうじて他者が遠くから見てこのあたりなのではないかと、それもわずかな記述でほとんど関心など無いような不確かな記述しか無い。そんな霞の中にあるような歴史の初源なのである。

 この出自は、先端としての現在の思想を不透明にする。本書の記述も戦後になった頃から、明らかに論点が不明瞭になる。これは、著者のせいではない。現在の思想界で何が論じられているのか、何が思想のテーマなのか、否、哲学、社会学、言語学、倫理学・・と細分化された学問にそもそもそれを貫くような思想などというものがあるのだろうか、そこに原因がある。そして、当然、先端の示し方向、この国の未来など見通すことはできない。

 本書は思想史の通史として本当に素晴らしいと思う。著者は自分の視点を貫きながら、よくぞここまでまとめあげたものだと思う。断片的な関心と知識しか無い僕にとって、頭の中に思想の見取り図ができるようなスッキリ感をもたらす良書である。そして、多くの方に推薦したい!

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする