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戦後左翼史 その29 1940年代前半 政治犯釈放 党再建

2016-10-16 17:12:33 | Weblog

 久々に20℃を越す日曜日。柔らかな日差しの中、少し運動ができ汗を流すことができた。

 昔の都市ガス製造法は、石炭を乾溜していたので、石炭に含まれる不純物が製造現場では発生した。盛土問題が話題になっているが、東ガスの敷地だったことはあまり報道されない。それは、マスコミのお得意さんだからか。いま、全国各地のガス屋さんは戦々恐々としているのではないか。

 

 戦後左翼史 その29 1940年代前半 政治犯釈放 党再建    

 1960年頃からの新聞の切り抜きをもとに、僕なりの考えの整理をしているが、現在の政治情況を把握する上でも、特に日共に関して、戦後の出発点の情況を考えてみる必要がある。ソ連、日共、新左翼には同じDNAが流れていると思うので、新左翼については特に取り上げていない。

 『戦後日本スタディーズ 全3巻 ①「40・50」年代、②「60・70」年代、③「80・90」年代』(岩崎稔・上野千鶴子・北田暁大・成田龍一編著 紀伊國屋書店 2009年刊)を再読した。掲載されている論文については読者の好みもあるだろうが、玉石混交である。その中で、各巻の巻末にある道場親信氏による年表は、無数にある事象からのピックアップの基準、それらの細部にわたった正確な記述と読んで楽しい職人的な技によって作られたものである。

 1960年以前の歴史については、この道場氏の年表から、左翼関連の事項を抜き出して、それに対する僕の考えを述べてみたい。(*特に、日本共産党関連について★印を付した。)

 

◎1940(昭和15)年(日中戦争泥沼化、大政翼賛会発足)

1月 毛沢東、「新民主主義論」発表

★4月 野坂参三、延安で「日本の革命的プロレタリアートの当面の任務」発表

(*は僕の考え)*野坂は胡散臭い人物である。戦前日共党員として、ソ連、中国、米国を行き来しているが、そこでどのような人物と接触を持ち、どのようなことを行っていたのだろうか。野坂は、戦後党内で最高地位まで上り詰めた人物であるが、ソ連崩壊後ソビエト共産党関連の資料が公開になり、同志を売ったとして100歳にして除名された。スパイが最高位にいた党とは、いかなる組織なのであろうか。日共は、除名で事を済ませてしまい、自らの党史における野坂の果たした役割の総括をしていない。否、党の正統性が失われる故にできないのであろう。

8.20 トロツキー、メキシコで暗殺

 

◎1941(昭和16)年(12月太平洋戦争開始)

3.7 合法左翼出版物一斉発禁

4.13 日ソ中立条約調印(モスクワ)

6.22 独ソ戦開始

10.2 ドイツ軍、モスクワ攻撃開始 12.8 ヒトラー、モスクワ撤退を命令

10.15 国際スパイ事件として尾崎秀実逮捕 10.18 リヒアルト・ゾルゲ逮捕

 

◎1942(昭和17)年(ミッドウェー海戦で日本海軍大敗)

★6.29 中西功ら上海反戦グループ検挙

8.22 ドイツ軍、ソ連スターリングラード攻撃開始 11.22 退却開始

 

1943(昭和18)年(学徒出陣)

★2月 延安で日本人民反戦同盟結成 1944.1 日本人解放連盟に改組

4.13 ポーランド・カチンの森でソ連軍によるポーランド軍兵の虐殺死体発見

5.15 コミンテルン執行委員会、コミンテルン解散を決議

★5.26 中央公論社員ら共産党再建謀議を図ったとして逮捕(横浜事件)

11.28 テヘラン会談(ローズヴェルト・チャーチル・スターリン)

 

◎1944(昭和19)年(B29東京初爆撃)

4.15 伊、バドリオ政府再編、共産党のトリアッチ入入閣

6月 『改造』休刊

7.10 情報局、中央公論社・改造社に自発的廃業を指示

 

◎1945(昭和20)年(敗戦)

2.4 ヤルタ会談(ローズヴェルト・チャーチル・スターリン)

4.5 ソ連大使モロトフ、日ソ中立条約を延長しないことを通告

5.15 最高戦争指導会議、対ソ終戦交渉方針決定

7.17 ポツダム会談(トルーマン・チャーチル・スターリン) 7.26 ポツダム宣言発表

8.14 中ソ友好同盟条約調印

★8.15 徳田球一、志賀義雄ら府中刑務所内で獄内細胞会議(東京)

*徳田、志賀は戦前、壊滅前の日共中枢部を担っていた。戦後は、彼らを中心として党が再建されるが、野坂―宮本との権力闘争に敗れた。もし、彼らが引き続き党を率いていたら、どのようになっていただろうか。想像するに、その後の新左翼の離反は無かったかも知れない。少なくても常にいざという時に常に敵前逃亡し、利敵行為を行いような党にはならなかったと思う。勝算も無いのに全選挙区に候補者を立てるのが典型的な例だ。

8.24 ソ連軍、平壌入城

8.30 毛沢東・蒋介石重慶で停戦を会談

9.25 パリで世界労働組合大会 10.8 世界労連結成

★10.10 政治犯5,000人釈放、自由戦士出獄歓迎大会、日本共産党の徳田球一ら「人民に訴う」発表 

*なぜか、各刑務所から一斉に出獄した他の同志たちと異なり宮本は1日早く網走刑務所を出ている。そこには、他の政治犯たちと顔を合わせることの無いような配慮があったのではないか?獄中での待遇も違っていたという話もある。もし、否、かなり怪しいと思うが、宮本が権力側と通じるような関係にあったとしたら、トップ2(野坂―宮本ライン)が腐敗していた党とは、いかなる組織なのであろうか。

10.14 平壌で金日成帰国歓迎市民集会

★10.20 『アカハタ』再刊

★12.1 日本共産党第4回大会(再建大会)、書記長に徳田球一

*(参考)行動綱領、その第1項は、天皇制の打倒、人民共和政府の樹立となっている。新執行部の中央委員は、徳田球一、志賀義雄、袴田里見、金天海、宮本顕冶、黒木重徳、神山茂夫、書記局員は、徳球.黒木.紺野与次郎.竹中恒三郎.山辺健太郎。再建日共は、徳球-志賀でスタートした。

12.16 米英ソ、モスクワ外相会談、朝鮮信託統治・極東委員会・対日理事会などに合意

1230 新日本文学会結成、『新日本文学』創刊準備号発刊(宮本百合子「歌声よおこれ」) ~2004.12

12月 『人民戦線』創刊 ~49.7

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