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戦後左翼史 その51 1967年② 日中友好協会分裂 善隣学生会館事件

2017-09-29 15:51:11 | Weblog

僕は、株と思想は底値が買い時と常々思っている。金も組織も無い小池のハッタリに前原民進党が屈した。さらに小池の踏み絵で、いよいよこの国では、左翼、リベラルの居場所が無くなる。目前の選挙なんかに一喜一憂せずに腰を据えて、アメリカ追随の道ではなく、「アジアの片隅」で北朝鮮を含めて隣近所と仲良くやって行く道をつくっていくべきと考える。10月からNHKでハングルを学ぼうと思っている。

 

戦後左翼史 その51 1967年② 日中友好協会分裂 善隣学生会館事件 

(★印は日共関係、◎中ソ対立関係、■文化大革命関係)

■1967.2.1道新 青島 40,000人の造反派集会(毛支持) 経済主義粉砕を誓う 北京の大衆 ソ連大使館に5日連続デモ

■1967.2.1道新夕刊 壁新聞発表 1966.2月クーデターの全容 賀竜副首相が首謀者(彭真、羅瑞卿、陸定一、楊尚昆) 中国人デモ隊 北京、ソ連大使館に侵入

■1967.2.2道新 新疆 暴動平静に 反動派が分散して逃亡 造反派 8か月の闘争で科学技術委も接収

◎1967.2.2道新夕刊 ソ連 北京大使館を縮小か 敵対行為に対処 幹部だけ残す程度に 新疆事件なども影響 まさに、断交寸前 中国人留学生にレーニン廟参りを拒否

■1967.2.4道新 ユーゴ記者の報道から 毛林派と劉鄧派抗争の内幕(1966.7~8) 中共中央は2派に分裂 毛林は上海に、劉少奇は北京委(1966.4末) 中央委員会全体会議の延期 毛の指示に従っていた鄧総書記寝返る(1966.7) 毛林が北京を掌握 林彪指令で内乱阻止(1966.7までに) 

■1967.2.4道新夕刊 文匯報 徹底的奪取を訴える 上海の革命はまだ モスクワ放送報道 新疆の情勢なお緊張 王恩茂氏は山岳で抵抗

■1967.2.5道新 大衆闘争大会 毛語録の暗唱強制 劉夫妻(玉光美夫人)つるし上げ

■1967.2.6道新夕刊 上海に都市人民公社 パリ・コミューン方式 すべての権力を代行

◎1967.2.7道新 モスクワ大使館事件 中国、強硬な抗議声明 両国の関係を破壊 誤り認め謝罪せよ 自制心にも限度

◎1967.2.7道新 香港紙報道 中ソ国境緊張高まる 新疆地区で衝突の可能性

■1967.2.7道新 上海人民公社 臨時委が緊急起草 「組織」など5部で構成

★1967.2.7道新 インドネシア紙報道 日共がスカルノ救出を計画 デビ夫人を日共が援助(出産のため東京滞在中に接触、20日に航空便を用意)

★1967.2.7道新 日共、事実無根と反論 豊田宣伝部長談

*(*は僕の考え)真実なら大いに評価したいが・・そこまで度胸はないだろう。

■1967.2.7道新 劉・鄧両氏の失脚説の背景 党中央委で完敗 国家主席は当分空席に

■1967.2.7道新夕刊 解放軍 長春でも出動 実権派分子多数を逮捕

■1967.2.9道新 中共中央通達 旧正月後、全面的に小学校を再開

*国の基礎である学校教育までストップしていた。

■1967.2.9道新 光明日報 実権派の権力奪回警戒 “宮廷革命”粉砕を

◎1967.2.9道新 中国抗議 モスクワ大使館にソ連青年乱入 両国の電話回線不通 国交断絶の危機 中ソ互いに応酬

■1967.2.9道新夕刊 林彪副主席が激しく非難 “朱徳(解放軍最長老)は野心家”

★1967.2.10道新 日共 9日付け「赤旗」「紅衛兵に盲従した反党分子を粉砕する」 中共の大国主義非難 毛思想押しつけは不当 公開論争に発展か 北京の人民大学紅衛兵の日共攻撃(日中両党会談の非公開問題を公表) 徳田球一未亡人(たつ)、井出潤一郎赤旗ハノイ特派員ら北京在住党員10名を1.31付けで除名

*(参考)徳田たつ:1953.10.14徳田球一北京で客死。死は1955年まで明かされず。1955.8.25志賀義雄と遺骨を受け取りに訪中。1962年毛沢東と中共の招きにより1972年まで中国に滞在。宮本顕治を弾劾、文化大革命を支持。

★1967.2.10道新 日共離党の親ソ派 共産主義労働者党(共労党)を結成 社会主義革新運動の内藤知周、社会主義統一有志会の春日庄二郎、日本のこえのいいだもも らで結成 日本のこえの志賀義雄、鈴木市蔵、神山茂夫、中野重治は不参加

■1967.2.12道新 中国 賀竜、朱徳氏すでに追放 党軍事委も改組か

■1967.2.12道新 チベットで反毛派軍事管制 毛林派が救援要請

◎1967.2.12道新 北京 反ソ集会 周首相 ソ連指導者を糾弾 人民の友好破壊

◎1967.2.13道新夕刊 きょうからAA連帯委理事会 中ソ対立のあおり 分裂の危機強まる

■1967.2.14道新 北京人民公社 社長に謝(富治)副首相、中央宣伝部長に王力氏 文革指導小組を設置 組長江青夫人、顧問周首相

★1967.2.14道新 日共が安斎康史氏除名 中国派の前中央委員

★1967.2.14道新 紅衛兵新聞 (日中両共産党会談めぐり)痛烈に宮本日共書記長批判

1967.2.14道新 英ソ会談 ソ連の“和解”目立つ 西欧の窓拡大

1967.2.14道新 ベトナム工作 英、失敗を認める 先行き、見通し難

★1967.2.15道新夕刊 日共 西園寺公一氏を除名 北京在住の“民間大使” 元老西園寺公望の孫 1957中国の招待で北京へ 中国で日共に入党 

*(参考)西園寺公一:(『赤旗』の除名理由)「日本人の勤労人民としての生活経験をもたず、中華人民共和国においても、社会主義の政府によって与えられている特恵的な生活になれて、特定の外国勢力に盲従して、分裂と破壊活動に狂奔」。1970.8日本へ帰国。事実上の追放。

◎1967.2.16道新 プラウダが論文 毛沢東政権を激しく攻撃 反ソで失敗ごまかす 両国関係決裂招く 

■1967.2.16道新 中共 新疆安定に乗り出す 建設兵団(漢民族のとんでん兵)に軍事管制

■1967.2.17道新 旅順、大連 軍が造反派鎮圧 鉄道、反動派の手に

■1967.2.17道新夕刊 中国文化革命小組が方針 古書や文化財保護 紅楼夢など今後も出版 南昌 反革命鎮圧に軍出動

◎1967.2.18道新 全欧共産党会議 着々と準備進む ワルシャワ開催本決まり 来週中に起草委

◎■1967.2.18道新夕刊 中央軍事委副主席命令 ソ連の挑発に備え、辺境の軍備固めよ 軍事委 新疆の革命にワク 王力氏 紅衛兵に警告 奪権に三結合(革命大衆、革命幹部、解放軍) ラサ放送報道 反毛派鎮圧に 3個師団が出動

■1967.2.19道新 香港紙報道 毛主席が軍に命令 新疆の闘争停止

◎1967.2.20道新 陳毅外相 中ソ関係で言明 断交もありうる

■1967.2.20道新 香港筋 文化革命足踏みで観測 主流派(毛・林)内部で対立?

■1967.2.21道新夕刊 李雪峰氏が天津で死ぬ 幅広く旧幹部を活動へ

1967.2.21道新夕刊 ジレンマに立つソ連外交 欧州党会議で内部調整へ

■1967.2.23道新夕刊 壁新聞報道 反毛派が軍と結び河南で革命派弾圧

■1967.2.24道新夕刊 中共軍事委 “下からの奪権許さぬ” 軍内部の造反も制限

■1967.2.24道新夕刊 周首相が呼びかけ 文革の方針転換を 攻撃目標を縮小 すべての古い幹部追い出しは誤り

■1967.2.25、26道新 新段階を迎えた文化大革命 金恩愷香港大研究所員の分析 ①奪権闘争の実態:混乱する紅衛兵 実権派、たえず分断侵入 ②奪権闘争の行方:両派の妥協は困難 経済面で深刻さ増す

1967.2.25道新夕刊 スパルジュ元(陸軍)准将 あくまでスカルノ支持

■1967.2.25道新夕刊 陳伯達氏 紅衛兵集会で批判 三角帽は誤り 中共中央が通達 秩序ある闘争を 各機関の接収管理禁止

■1967.2.26道新 北京市公安局が布告 “極左”9団体を解散 指導者逮捕を警告

■1967.2.27道新論壇時評(下)日高六郎 ドイッチャー「中国の文化大革命について」(文芸)一読に値する分析 「中国は、米帝とソビエト修正主義は『基本的に一致調和』するとしているが、それは米国の思うつぼ、ベトナムに関与したくないソ連の思うつぼにはまっている。ソ連と米国を隔てる『深淵』を無視すべきでない」 文革ついて各誌に百家争鳴の見解 ①権力闘争 ②政策路線の対立にはじまる権力闘争 ③文字どおり「文化」「精神」運動 ④毛沢東思想の転回運動 吉田実「文化大革命の新段階」(世界)、新島淳良・中島嶺雄・大久保保泰座談会「燃え上がる毛沢東思想」(現代の眼)、菊池昌典「中ソの和解は可能か」(朝日ジャーナル2.26)

*当時の僕は未熟がらも文革に神秘性を感じていた。革命を成し遂げた後にも、絶え間なく「文化」「精神」の原点に戻りながらより深化していこうとする。魅かれた。現在の通説は、①の権力闘争だと思うが、②は表面的には理論闘争の装いをとっているが、内実は権力闘争という左翼に共通する特徴的な形態。当然僕は③の「文化」「精神」運動に期待を抱いていた。

■1967.2.27道新夕刊 奪権の手綱締める周首相 幹部追放に待った 行政機能のマヒ回避へ

■1967.2.28道新 文化大革命の方向転換 戦術的な後退? 実権派抱き込み図る

■1967.3.1道新 川端(康成)氏ら(三島由紀夫、阿部公房、石川淳)が抗議声明発表 中国の文化大革命は学問芸術の圧殺 学問・芸術を政治権力の道具とする思考方法には反対

*保守と言っていいだろう文化人たちは、限られた情報から本質をしっかり把握していると思う。

■1967.3.2道新夕刊 北京放送 山東省で革命委成立

■1967.3.3道新 チェテカ通信(チェコ) 中共中央委が決定 新疆の文革中止

■1967.3.3道新 ハンガリー紙報道 朱徳将軍、毛主席と激論 自己批判を拒否 文革を支持しない

★1967.3.3道新 日共系(民青)と中国系(華商)学生乱闘 9人重軽傷負う 善隣会館から日共系(日中友好協会本部)の追い出しをめぐり

*(れんだいこHPに学ぶ)1966.10.25第13回常任理事会で日中友好協会分裂。日共の反中国政策に反対する役員(少数派)は、善隣学生会館を出て日中友好協会(正統本部)を結成。日中友好協会は会館1.2階に留まる。だが、3.4階には中国人留学生が寄宿。「中国留日学生後楽寮自治会」は本国を支持し、1966.11大字報で、「日中友好協会(日共系)はこの会館から出て行くべき」と主張。1967.2.28~3.2壁新聞を、協会が破ったかどうかでトラブル発生。3.2日共動員部隊が、留学生と支援日本人を襲撃と不法監禁に対する『正当防衛権の行使』(日共の主張)として排除。留学生の主張では、凶器による暴行で重傷者が出た。

◎1967.3.3道新 モスクワ放送非難 中国はベトナム戦利用し米ソ衝突ねらう

1967.3.3道新 ジュネーブ軍縮会議第4日目 チェコと米が応酬 ベトナム戦、西独核接近で

1967.3.4道新 ソ連幹部会議議長(ポドゴルヌイ)が協調 北爆止めれば和平会談実現 

■1967.3.4道新 ブルガリア通信 林彪国防相が姿見せる 11月以来初めて

■1967.3.6道新 中国奪権闘争 幹部工作に全力 呉徳氏(前北京市長代理)復帰か 実権派抱き込みに焦点

■1967.3.7道新 中共の責任者確認 呉徳氏返り咲く “三結合”(革命軍隊、解放軍、党・政府機関の革命的幹部)に参加か 唐平鋳氏(人民日報編集長)も名誉回復 中国から帰った東独医師語る 毛主席、脳の動脈硬化

◎1967.3.7道新夕刊 ソ連首相(コスイギン) 中国に強硬態度 “国境の尊厳”知らせる いつでも軍隊動員

◎1967.3.8道新 文化大革命の焦点 周首相の動き “柔軟路線”を一手に推進 収拾の切り札?

1967.3.8道新夕刊 “ソ連の利潤導入”核心へ 卸に新価格体系 7月重工業製品を値上げ

■1967.3.9道新 衛生省に革命委 三結合では初めて

◎1967.3.9道新 ソ連の北ベトナム援助 平和共存とのジレンマ 中国との対立深まる 陸上輸送にかなり影響

★1967.3.9道新夕刊 新華社と北京放送 善隣会館事件を報道 日共(日共修正主義分子)を名指しで批判 日中友好協会(正統)本部

*(れんだいこHPに学ぶ)3.11人民日報「日共は、米日反動派、ソ連と結託した修正主義分子」、「中日友好と貿易を発展させるためには、米帝、日本の反動派、ソ連現代修正主義グループ及び日共修正主義指導分子と、断固として徹底的に闘わなければならない」と主張。

■1967.3.10道新 「紅旗」が改めて指示 奪権後は“三結合”を実施せよ 革命幹部が中心役割を 各単位に新機構

■1967.3.10道新夕刊 貴州放送報道 司令官が集会で発表 反毛派に死刑宣告 

1967.3.10道新夕刊 スターリンの娘(スぺトラナ・スターリン1925年生まれ) ローマに亡命 インドの米大使館通じ

◎■1967.3.11道新夕刊 ソ連書記長(ブレジネフ) 毛一派を糾弾 奪権闘争は“破産”

■1967.3.14道新 人民日報社説 春耕生産完遂のため農村の奪取中止せよ

★1967.3.14道新夕刊 善隣会館事件 武田泰淳氏らが日共を非難 日中友好を阻害するもの 伊藤義雄、井上清、内田吐夢、大谷螢潤、北川桃雄、木村伊兵衛、坂本徳松、白石凡、杉村春子、杉本健吉、千田是也、滝沢修、中川一政、中島健蔵、花柳徳兵衛、東山千栄子、松岡洋子、水上勉、向井潤吉、依田義賢、蝋山芳郎ら

■1967.3.15道新 紅代会(首都大専院校紅衛兵代表大会) 10万人が打倒デモ 譚(震杯)副首相を攻撃 周政策への不一致示すか さらに2副首相(李富春、李先念)も攻撃 

■1967.3.15道新 北京の壁新聞報道 重慶の反動派に作家の羅(広斌)氏殺さる

1967.3.15道新 スターリンの娘の“亡命” プラウダも簡単に報道 モスクワでも持ち切り

1967.3.15道新夕刊 ソ連 週5日労働制に移行

★1967.3.16道新 日共「赤旗」(15日付け 若林のぼる中央委員候補署名論文)で中共を攻撃 善隣学生会館事件で 中共非難は初めて 廖承志中日友好協会会長、孫平化同主席代表を非難

■1967.3.16道新夕刊 北京 李先念氏(副首相)を再び批判

■1967.3.17道新夕刊 壁新聞報道 中共中央 「幹部問題」で対立か 重要会議で闘争展開 実権派が巻き返し 当面、譚(震杯)副首相が対象?

◎1967.3.20道新 ソ連外務省が声明 2人の中国大使館員 即時国外退去を要求

★1967.3.20道新 赤旗に論文(19日付け) 日共、再び中共非難 団結乱す思い上がり

*(れんだいこHPに学ぶ)赤旗「中共は、反米帝の国際統一戦線に反対し、日本人民の解放闘争の諸条件を分析することもなく、選挙闘争を事実上、否定する大国主義、極左冒険主義、分裂主義である」と反論。 

◎1967.3.21道新夕刊 モスクワ放送 中国の強制同化非難 少数民族を迫害

◎1967.3.23道新夕刊 モスクワ放送 張司令官が権力行使 チベット反毛軍統治

■1967.3.24道新夕刊 北京 労働者連合大会開く 文革推進を誓う 荘則棟(卓球選手)が自己批判

■1967.3.25道新夕刊 李雪峰氏 返り咲く

1967.3.27道新 プラウダが初の論評 インドネシアの反共運動 帝国主義に奉仕(と批判)

■1967.3.27道新夕刊 北京の造反団体など 劉・鄧路線と対決 粉砕準備委を結成

■1967.3.28道新 人民日報報道 軍部、党中央に進出 徐(向前)氏が政治局委員へ

■1967.3.28道新夕刊 香港筋で中国大陸の情熱を分析 解放軍が春耕作業 農民にみなぎる反抗心

■1967.3.30道新 中国 周首相の実権強まる “党委”の復活を指示 国務院の各省 実権派台頭がめだつ

■1967.3.30道新夕刊 紅代会が紅衛兵に通達 周批判絶対いけない

 

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