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太田昌国 『現代日本イデオロギー評註 「ぜんぶコロナのせい」ではないの日記』 その2 コロナの視点

2021-08-24 14:19:24 | Weblog

「ニムオロ塾」という根室で塾を経営されている方のブログを読んでいる。医療や教育など地域の切実な問題を取り上げている。とりわけ子どもたちの将来にかかわる進学環境の貧弱さは深刻だ。僕は18歳まで釧路で生活していたが、高校には釧路、根室管内から下宿しながら通っている仲間がいた。道央圏での生活が長くなるにつれて、こういう問題を素通りしてきたことに気づかされる。

 

『現代日本イデオロギー評註 「ぜんぶコロナのせい」ではないの日記』(太田昌国著 藤田印刷エクセレントブックス 2021年刊) その2 コロナの視点 

本書はコロナウィルスが顕在化した2020年1月から9月までの日記だ。“「ぜんぶコロナのせい」ではない”という表題は、コロナの話題だけが社会の全面にあって、多くの重要な問題が見過ごされてしまいそれらが何一つ解決しないことに対する著者の苛立ちと批判的なスタンスを表している言葉だと思う。

コロナという全世界が直面している問題の中にも、これまでと変わらず、全くぶれていない著者独自の視点がある。その視点をまとめると以下のようになる。(P412~要約引用)

①コロナ対策のため中国の工場の稼働率が下がったが、中国では途上国のエイズ、結核、マラリア(三大感染症)に対する治療薬、診断キット、蚊帳を製造していたがそれらはどうなっているのだろうか。この国で100円ショップの棚に隙間ができたこととは次元が違う。

②先進国では、コロナは1918年から流行したインフルエンザ以来これまでで最大の感染症だと狼狽しているが、途上国ではコロナ以上の威力を持つ病原体がこの間にも多く流行してきた。「先進国」で流行しない限り、各国の政府も、世論も、製薬会社も、研究者も関心を持たないということをどう捉えるか。

③ワクチンや検査キットの開発のために国際的な協力体制を作ること。また、医療分野における知的財産権を廃止することが必要だ。大事なものを金に飽かして独占するという「国民国家」の論理で動いている現状でいいのか。

④途上国の人々は、いつ難民化するかわからない瀬戸際で生きている。感染症が人と共に移動するということを思えば、先進国の《利害》が掛かることでもある。

⑤私たちが日常生活を送るうえで、それを支える基盤となる種類の労働とそれに従事している人びとは、《外へ出て、対面で、密な労働》をせざるを得ない。「新しい生活様式」ができない人びとの労働と生活の在り方を思う気持ちを持ち続けたい。

⑥コロナをめぐる動きは、拘置所、刑務所、出入国管理センターなど国家の責任において人を拘束している施設における人権状況の劣悪さを明るみに出した。

⑦シンガポール、ナイジェリアでは、ズーム法廷によって死刑判決が出されている。裁判官が直接に被告の顔を見ることもなく判決を下す情況も起きている。

さて、正直に言おう。上記の7つの視点のうちわずかでも僕が意識できていたのは③、④、⑤、⑥だ。それも恥ずかしながら、以下のレベルだ。

③アストラゼネカのワクチンはファイザー、モデルナに比べて安価だ。それは、製造国のイギリスにはワクチンは公共財という考え方があるからだということは知っていた。

④地続きで国境を接していないこの国では、大量の難民が入ってくるということにリアリティを感じないが、コロナ禍になってからの僕の中では排外主義的な気分が強くなっている。五輪に反対する考えも外からウィルスを持ち込まれたくないという理由からだ。

⑤この矛盾は強く感じていた。リモートワークができる業務に就いている正社員が、低賃金で宅配をしている非正規労働者から出前を取っている現実がある。

⑥刑務所内でのクラスターの発生や入管施設のおけるスリランカ人女性の死亡報道から非常に劣悪な環境だということは認識していた。

①、②、⑦の視点を持ち合わせていなかったことは、自分の安全のことばかりに関心が偏り、思考の中にすっぽりと穴が開いてしまっていたことに気づかされる。この情況に対して、漠然とした違和感を持ちながらも言葉にできなかった自分が鋭く批判されたような気持ちが残る。

 

コメント (2)
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