晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

内田樹 『日本習合論』 その1 寄り添う 絆 ふれあい ワンチーム 和 一体感 

2021-10-13 16:28:22 | Weblog

スガからキシダに変わって人相がずっと良くなった。キシダは保守本流の宏池会を率いており、リベラルな政策展開を期待している向きも多いだろう。これを「キシダ幻想」と呼びたい。しかし、自民党内では力不足で言えないことばかりになるだろう。今思えばスガは、ポンコツ総理と言われながらも検察を使いながらアへの動きを一定程度牽制できていたと思う。キシダは、アへが放ったアマリら刺客たちに動きを封じられた卍固め状態になっている。

 

『日本習合論』(内田樹著 ミシマ社 2020年刊) その1 寄り添う 絆 ふれあい ワンチーム 和 一体感  

このブログは、雨読して「ああ、そういうことだったのだ!」と新たに知った事実を自分のための備忘録として掲載していることが多い。66歳になっても知らないだらけだ。知る喜びを感じなくなり知的な好奇心を失ったときはお終いと思っている。内田樹氏の著作は少し違っていて、日々どうもすっきりしないと感じていること、なかなか附に落ちないことをどのように捉えたらよいのか、考えるきっかけを与えてくれる。だから『東京ファイティングキッズ』以来、たのしく読んでいる著者だ。

本書でも2つの点で刺激を受けた。ひとつは、今の社会を「粘ついた共感」という視点から捉えていることである。もうひとつは、「純化」の危険性である。(次回で)

以下は、「粘ついた共感」から思いめぐらした僕の感想である。内田氏は、絆、ふれあい、ワンチーム、和、場の親密性、満場一致、忠誠心、一体感・・などの言葉が氾濫している今の日本は共感過剰社会だという。僕は、これらに「寄り添って」という言葉を付け加える。この言葉にはざわっとするような違和感をいつも覚える。どこかストンと来ないのはどうしてなのか。どこからともいえぬ得体の知れない自分に向かう圧力が気持ち悪い。そう感じてしまうのは僕がひねくれ過ぎているからなのだろうか。

若い頃の僕は、上司との酒席を避けると「おまえはつきあいが悪い」、「ドライだからな」と随分言われた。年齢を重ねてから、上司がなぜ酒席につきあわせようとするのかが少しわかるようになった。上司は孤独で不安なのだ。部下はまかせた仕事をちゃんとやってくれるのだろうか。部下が何を考え、自分をどう思っているのかがすごく気になるのだ。上司は部下の忠誠心を確かめたいのだ。僕は面従腹背が見え見えで酒席につきあった。僕は、今の若い人たちの会食は親しい友人とだけという気持を先取りしていたと自慢したい。昔の上司は「共感と理解の上に人間関係を基礎づけ」たかったのだ。

しかし今はマスコミが酷い。「粘ついた共感」社会を良しとして密な人間関係を称賛し強要する。災害が起きても行政の支援(公助)は直ぐには届きません。それまでは自分でなんとかできる(自助)ように備えてください。そして地域の住民同士が助け合ってなんとかしのいでください(共助)。そのために日頃から向こう三軒両隣と親密なお付き合いをしておきましょう。「粘ついた共感」社会を作ってください。僕らはそんなことをいちいち他者から指導されたくない。それは、親が子どもに友だちとなるべき人、なってはいけない人を指定しているようなものだ。共感や理解は自然に形成されるものでありどこからか言われてやることではない。

そんな中でも、コロナ禍がいい方向につながりそうである。リモートワークは会社の人間関係を変えるきっかけになると思う。これまでは毎日出社して担当ごとに机で島を作ってホーレンソー(報告、連絡、相談)、時には人間関係を円滑にするための雑談を交えながらチームで仕事をするスタイルがスタンダードだった。これが自宅又は会社以外の場所において一人で、必要な時以外はやりとりをしないで業務を遂行するようになった。「粘ついた共感」が排除され、それぞれ自分が今何をしなければならないのかがわかっているシステム、人の自由度が上がり能力の可動域が広がる働き方だ。それを社会の「成熟」と呼びたい。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする