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山田朗 『昭和天皇の戦争 「昭和天皇実録」に残されたこと・消されたこと』 大日本帝国 戦争責任 アジア太平洋戦争

2022-03-10 14:01:50 | Weblog

不用意な一言。秋元札幌市長は、2030札幌五輪招致PRのため道内民放各局に出演しているが、どうしても話題はこの冬の豪雪に及ぶ。先日、某局で「実は自分の家の車も雪で動けなくなった。でも、明日には町内会のパートナーシップ排雪が実施されるので大丈夫」としゃべってしまった。番組内で、多くの町内会に排雪予定の繰り延べ、排雪レベルも例年の7割に協力を!とお願いしていながらである。市内のあちこちにそびえ立つ雪壁のことを「#秋元の壁」と皮肉られていると報道された。

 

『昭和天皇の戦争 「昭和天皇実録」に残されたこと・消されたこと』(山田朗著 岩波書店 2017年刊) 大日本帝国 戦争責任 アジア太平洋戦争

「昭和天皇実録」は、宮内庁という公の機関が時間と労力をつぎ込んで編集した公式の伝記である。著者は、この「実録」で、天皇の戦争指導を分析する歴史的資料となりうるか。とりわけ、戦争中の戦略・戦術に関する天皇の積極的な発言がどのように記録されているか、を検証している。これまで公表されてきた皇族、侍従や側近、軍人、政治家らの日記や自伝における記述内容と比較し、「実録」に残されたこと、消されてしまったことを浮かび上がらせようという試みである。結論的にいうと、「実録」においては、天皇の戦争・戦闘に対して積極的とみなされるものは、極めて系統的に消されてしまっている。「天皇=平和主義者」のイメージをそのまま温存しようという意図のもとに編纂・叙述されているという。

僕は、本書の本題からはずれるが、昭和天皇はどのような個性を持つ人物だったのだろうかということを読み取ろうとした。

昭和天皇は124代も続く老舗中の老舗会社(大日本帝国)の社長だった。この会社には2つの事業分野(陸軍と海軍)を持っていたが、それぞれの営業方針が大きく異なり一緒に業務を進めるという社風はなかった。それぞれの長(陸軍参謀総長、海軍軍令部総長)が社長に対して直近の状況(戦況)報告を行い、社長の決済(裁可)を仰ぐのが原則なのだが、独断で業務を進めてしまったことも多かった。

このことから社長決済は形式的なものであったという見方もあるが、本書からは違う様子が見てとれる。社長は、部下から前に報告を受けていた内容、部下に対して発した支持の内容、部下が約束した内容を細部まできっちり覚えており、そこに食い違いや矛盾があれば必ず指摘した。頭脳明晰、記憶力抜群である。また、情勢分析も正確で、地理や歴史に明るく博学であった。そのため、社長が発した鋭い指摘や指示・要望のために部下たちが説明を上手くできずに窮地に立たされることも多かった。

しかし、この会社のガバナンスには問題があった。先に触れたがしばしば部下が社長の決済を経ずに独断専行する傾向があった。それに対して社長は疑念を持ち、最初は厳しく問いただすこともあったが、徐々に現状を追認し、最後には容認へ傾斜してしまうことが多かった。さらに、成果が上がると賞賛までしてしまったのである。社長は、現状追認・結果優先の論理の人であった。

事業の失敗が積み重なりこのままでは倒産してしまう事態になっても、社長の譲れない線は、この会社(国体)を絶対につぶしてはいけないということだった。そのため、もう一回何とか一儲けできないだろうかと事業終了の決断が遅れしまい、結果的に負債が膨らんだ。

著者は「第2次大戦期において、日本という国家には、世界規模の、なおかつ高度なテクノロジーを集約した戦争を統括し、遂行できるシステムがなかった。全てを統括している天皇という建前の存在が、戦時において効率的なシステムの構築を阻害していた。当時の天皇を頂点とする仕組みは、大戦争を行うにはあまりにもキャパシティーに乏しく、刻一刻変化する戦況に対応するには風通しの悪い硬直したものであった。」と結ぶ。

さて、僕の会社生活を振り返るとどうだったのだろうか。僕の所属した組織には同様な体質はなかったのか。僕の会社でのふるまいはどうだったのだろうか。

 

 

 

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