3月上旬から体調のすぐれないpapaさんは病院の処置室で あの日も
点滴して貰いながらウトウトしていました
私は 廊下の長椅子で待機していましたが、ゆら~ゆら~としたのは
自分が眩暈(めまい)をしてきた、疲れてるんやな~と想いました
が、直ぐに地震だ!!と気がついてベットに行くと ナースさんから足元に
しゃがむ様に指示されました
天井から下がっている2本の電源コードが大きく 長い間ゆれていました
自分達の事ばかり考えていたあの時間に こんなにまで大きな地震と
津波が襲ってきた事は、帰りのタクシーと 帰宅してから知ることとなりました
今日3月17日現在 死者 不明合わせて1万5千人 避難者39万人
今の自分には何が出来るだろうと考えても無力感ばかりの毎日です
近くのセンターで義援金の受付けが始まったので、微々たるほどの
申し込みをしましたが・・・・・・
暖かい春が被災地と避難者の皆様のところに一日も早く来ます様に
祈ります。
テレビを見て想像してます、避難はながびくでしょう、もうもとの生活にもどれない人もでるでしょう、日本人全員が衝撃を受け深く考えてます。
思い浮かぶのは宮尾登美子著「朱夏」終戦と同時に満州に530日間抑留、体験を書いた力作。
いまは原発がおさまってくれることを、ただ願うばかりです。
充分人生を楽しみ心残りは無いのですが、自分の為というより、これからも何か出来るかもしれないし、喜びを感じてもらい、些細な喜びを持てたら良いかな。