瀬戸内寂聴尼が11月9日に99歳で亡くなっていたことが報じられた。
死因は心不全であったが、今年の1月には今年中に自分は死ぬであろうと言っていたそうである。
人は自分の死が近づくと、それを感じ取る能力を持っているのだろうか。
彼女はよくテレビに出ていたので、彼女の生き方はよく知られていた。僧侶となった理由を聞かれたとき「もう昔のことで忘れた」と言っていたが、決して忘れてはいなかっただろう。
京都嵯峨野の寂庵で定期的に行われていた法話にも多くの人たちが集まっていた。
彼女の小説はほどんど読んだことはないが、一冊だけ読んだことがある。
貞心尼から見た良寛を描いた「手毬」という小説である。

最後の良寛が亡くなるあたりは、いかにも彼女らしい書き方であるが、小説として読むべきであろう。
もう一冊「寂聴 般若心経」をだいぶ前に読んだことがあるが、失礼ながら少々物足りなさを感じたのを記憶している。
今朝、本棚を見たらもう一冊あった。やはり僧侶になった稲盛和夫氏との対談した「利他」という本。
この本に書かれていたか覚えていないが、私の部屋に下記の文を貼っている。
自分の幸せだけを考えず
自分の生きていることが人の幸せにつながるよう
他の幸福のために奉仕しましょう。
そういう生き方こそ、生きる喜びを感じられます。
瀬戸内寂聴師
私の母は寂聴尼と同じ大正11年生まれの戌年なので、生きていれば99歳だったのかと改めて思った。母は二年前、97歳で逝った。
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