昇交点

五藤テレスコープ的天文夜話

マークX物語(7)

2013-08-28 06:42:23 | マークX物語

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第7話 極軸ファインダー(極望)

マークX物語・第3話でも触れたように、極軸ファインダー(極望)はポータブル星野撮影赤道儀で初めて実用化されたものでした。マークX赤道儀は開発当時に流行が始まった天体写真撮影を主目的のひとつにしていましたので、極望は必需装備でした。

初期の極望は北極星の赤緯の余角である、およそ1度弱のサークルを単純に刻んだ視野標板があるだけのものでした。フィールドで使う場合、北極星は天の北極からカシオペア座ε星の方向に1度弱ずれているため、片目で極望の視野をにらみ、もう反対の目で視野外にあるカシオペア座ε星、もしくはその反対側の北斗七星の柄の先端の星をねらって、北極星の離角方向を設定していました。しかし「あれ!北極星はどちら側にずれていたんだっけ」など、久しぶりに極軸合わせをする人など忘れてしまう場合も多かったのです。

「北斗七星とカシオペアの図柄が極望の視野に表示されていれば、便利だよね」という意見のもと、おおくま座ε星とカシオペア座γ星がほぼ180度反対方向にあることを利用して、マークX赤道儀初期の極望標板はでき上がりました。その後1977年には南半球用極望が、そして最終的に南北兼用の極望が完成しました。このとき歳差運動による北極星の移動スケールも組み込まれ、図に示した極望パターンの完成型となったのです。

コリメーターと顕微鏡を改造した極望調整治具、そして極軸と極望の部品すべての同芯加工という2つの技術の組み合わせで、誤差数分以内という極望システムは完成しました。35年以上たった現在でも、極望の再調整や南北兼用型の標板に交換して欲しいという依頼が舞い込むのは、私たちにとっては嬉しいことです。(suzu)

画像 : 南北両用極望パターン


マークX物語(6)

2013-07-11 11:54:19 | マークX物語

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第6話 耐寒テスト

天体望遠鏡は例えば砂漠での日食観測から、氷点下数十度の寒い環境でも使われる機械なので、使用される温度の範囲が非常に広いのが特長です。現在の赤道儀は殆どがベアリングを軸受にしており、これが熱膨張のバッファになっていますが、Mark-Xを開発した当時は大型赤道儀を除いてベアリングが使用されることはまれでした。軸と軸受はJIS h7・H7と規定される嵌め合い公差で精密に削り出されていたのです。

当時、五藤光学研究所の小型赤道儀は軸受に鋳鉄かアルミ、軸には鉄が使用されていました。赤道儀を極端に冷やすと、軸と軸受の熱膨張率が大きく異なる材料では、収縮して動かなくなってしまうことが判明しました。Mark-Xではほぼ同じ膨張率の材質を使うことで、低温でも動きのスムーズな軸受ができたのです。

更にこの時小型望遠鏡では初めて、高温から低温域まで滑らかさが損なわれない二硫化モリブデン系のグリスを用いたり、モータードライブの回路に耐低温特性を持たせたりしました。

添付の写真は零下25度の冷凍庫で、試作したMark-Xの耐寒試験をしている27歳当時の私の写真です。五藤光学本社の系列会社の大東京綜合卸売センターにあった大型の冷凍室があります。暑い夏のに日にここで耐寒テストをしたのは懐かしい思い出です。(suzu)

画像:耐寒テスト中のマークX


マークX物語(5)

2013-03-08 13:33:42 | マークX物語

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第5話 Mark-Xの設計を開始する。

小型望遠鏡委員会はアマチュア天文家が理想とする望遠鏡の姿を求めて、1975年6月にその会議を終了し、製品化の依頼を技術部(開発・設計を担当)に提出します。当時の五藤光学研究所には学校向けの赤道儀として6.5cmと8cm赤道儀が2機種販売されていました。大きさはこの2機種の中間とし、ただし8cmの鏡筒が載せられる強度を確保して欲しい、という要求を出しました。設計は望遠鏡に造詣の深いM氏が担当、驚くほど短期間で仕上がり、試作が開始されたのです。

まず赤道儀を架台、ベースモデル(極軸)、赤緯軸、筒受の4つのパーツに分解しなくてはなりません。分解方法はちょうど工作機械の接合部のように「印籠継ぎ」と呼ばれる接合部分をつくり、ここに4本の六角穴ボルトで接合するという方法がとられました。しかしパーツの分解を重ねるとアルミでできたボルト穴がしばらくすると摩耗してくる恐れが懸念されたのです。この解決策として「ヘリサート」というステンレスのばねでできたメスねじを、アルミ鋳物の中に挿入することになりました。

また、赤道儀としての強度を増すために、ウォームホイルと軸、ハウジングの嵌(は)め合い精度(軸と軸受の直径差)を高め、強度を増す工夫を行いました。さまざまな赤道儀を用意し、同じ長さの鏡筒を装着し、端をばねばかりで引っ張って力を加え、どの程度たわむかを毎日のように試験し、このクラスの赤道儀としては随一の強度があるという自信がついてきました。(Suzu)

添付写真 Mark-X赤道儀のアップ写真


マークX物語(4)

2013-01-18 08:44:36 | マークX物語

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第4話 社長がマークX赤道儀に注目

マークX赤道儀を開発していた当時の五藤光学研究所の社長は、初代社長の五藤齊三でした。明治24年生まれの実業家で、生涯に実にさまざまな会社を興したのです。五藤光学研究所も、そして五藤テレスコープの事務所がある大東京綜合卸売センターも齊三が興した企業のひとつです。

開発会議の委員は、マークXのコンセプトを社長から反対されると考えていました。天体望遠鏡に対して一徹な意見を持っている人だったからです。でもそれでも製品化しようと心に決めていました。

ところが製品化の報告をすると、私たちの心配とは逆に大賛成をしてくれたのです。それどころか「赤道儀の開発は君たちが担当しなさい。私はその赤道儀に取り付ける新しい光学系を開発する」と言ってくれました。齊三の残した3つの教えのひとつに「決して他人のまねはしない」という言葉があります。アイデアの斬新性があるいは彼の心に響いたのかも知れません。このことは将来、マークX赤道儀の販売に大きな事件となるのですが、当時はマークXシステムの拡張に多大な恩恵がありました。

こうして齊三社長の直接指揮による8cmアポクロマート、セミアポクロマートシリーズ、10cmマクストフなどが誕生してゆくのです。(suzu)

画像:2枚玉スーパーアポ最初のカラー広告


マークX物語(3)

2013-01-09 17:48:29 | マークX物語

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第3話 マークXのモデルは合体ロボ

アマチュア天文家の理想望遠鏡を求めて開発会議は継続されました。70年代はアマチュアによる天体写真の揺籃期であり、眼視用はもとより当然のごとく天体写真の撮影に理想的な赤道儀が求められてゆきました。

ある委員から、当時子どもたちに人気のあった合体ロボのような赤道儀ができないだろうか、という意見が出ました。当時の天体望遠鏡は鏡筒と架台が一体化されたものが殆どでしたが、もし赤道儀がばらばらに分解できれば、反射、屈折、カタディオプトリックなどの鏡筒が自由に交換できるようになります。

さらに新しいアイデアも出ました。赤道儀が分解できるということは極軸が単体になることを意味します。実は当時、五藤光学研究所には「ポータブル星野撮影赤道儀」という製品がありました。これはまさに現在で言うポタ赤の原型で、この製品で初めて極軸望遠鏡という概念が生まれたのです。単体の極軸はポタ赤になることを意味しているのです。こうしてカタログの表紙にも採用されたあの分割イラストの概念が完成したのです。(suzu)

画像:上 マークXカタログ 下 ポータブル星野撮影赤道儀の広告