昇交点

五藤テレスコープ的天文夜話

最初の年の瀬を迎えて

2012-12-27 16:30:15 | 会社情報

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五藤テレスコープ株式会社が創業して3か月を迎えました。まず私たちは五藤光学研究所の望遠鏡を、長年ご愛用頂いているお客様のアフターサービスからスタートしましたが、私たちのホームページをご覧になり、たくさんの励ましのメールを頂戴したことに驚いております。更には天文ガイドと星ナビが会社創業を記事にして下さったことで、このところマークX赤道儀のオーバーホール、極軸標板の交換などの問い合わせが急増しました。いかに長い期間、望遠鏡をご愛用頂いていたか、私たちは身に染みて感じました。

来年、私たちはまず科学館などに納入された、いわゆる公開天文台の設備に向けて、新製品を発表してゆこうと考えています。
ただ圧倒的に多くのメールはアマチュア天文家のみなさまからのものです。最近の天体望遠鏡は機能が画一的になりがちで、ユニークな製品や、いまは存在しないアイピースなどの復刻を希望するメールが多くを占めました。これらはいずれも少量ロットの製品ということになり、経営面でそれが許されるのかどうかは未定です。でも一歩づつですが、アマチュアのみなさまのご要望に沿えるよう努力してゆきたいと思います。

来る年が大彗星の年となることを祈りつつ、どうぞ宜しくお願いいたします。(suzu)

画像:弊社が現在所有している五藤光学研究所製接眼レンズコレクション


70年前の双眼鏡技術に思いを馳せる

2012-12-25 12:52:32 | 望遠鏡・双眼鏡

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suzuは「昭和19年日本光學工業株式會社製12糎(センチ)双眼望遠鏡」なるものを所持しています。八ヶ岳のふもとの農場に設置してあるのですが、さすがに68年も前に製造されたものなので、光学系はかなり曇りが見られました。このほど諏訪市在住の光学技術者、金井十八氏のご厚意で解体・修理がなされました。その技術報告会が日本望遠鏡工業会、コスモスサロン、五藤テレスコープの共催で、長野県富士見町にて11月17日に開催されました。コスモスサロンは元東京天文台・乗鞍コロナ観測所に勤務し、三鷹市議も務められた鈴木利和氏が八ヶ岳のふもとで実施している文化サロンで、天文の話題も多く取りあげられています。実はこの双眼鏡は鈴木氏の農場に設営されているのです。

報告会では内部の光学系の精度が大きな話題となりました。特にプリズムはダハ面をもつものと菱形の2種類から成っており、ダハ面の角度や面精度の測定結果が報告されました。70年近く前なので当然コートなどはしてありませんが、近年の双眼鏡に繋がる技術が戦前に殆ど完成していたことが、強く印象に残りました。アイピースは見かけ視界が60度もあるエルフレ型で、左右のある部品が片方は真鍮、もう片方は鉄でできており、物資のひっ迫していた戦争末期の様子を示しており、感慨深いものがありました。(suzu)

画像:夕暮れを待つ12センチ対空双眼鏡。残念ながらフォークは現存しておらず、後から製作した。後方は南アルプスの主峰・甲斐駒ケ岳。


羽田空港で天体観望会

2012-12-20 15:47:25 | 星まつり・観測会・イベント

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五藤光学研究所からの依頼により、12月14日の金曜日、羽田空港国際線ターミナル展望デッキ月見台で行われた天体観望会に協力をいたました。

弊社・株式会社スコープテック様で望遠鏡と双眼鏡を持ち込み、多くのお客様に木星や冬の代表的な天体をご覧いただきご満足いただけたと思います。

当日は天候が下り坂のため雲が出ることもありましたが、国際宇宙ステーションの通過やふたご座流星群も何個か見ることができ、流星が飛ぶたびにお客様から歓声があがるなど寒い中にもかかわらずとても盛り上がりました。

弊社ではこうした観望会などの天文普及活動を通じて今後の商品企画につなげていければと思います。 (kon)


マークX物語(2)

2012-12-12 15:14:24 | マークX物語

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第2話 マークX赤道儀の生まれ故郷・山梨県乙女高原
1970年代当時、五藤光学研究所には天文部というクラブがありました。小型望遠鏡委員会のメンバーは実は殆どが天文部に所属していたのです。従ってアマチュア用望遠鏡の開発に主題が絞られてゆくのは当然の帰結だったかも知れません。
当時、天文部のメンバーは休日を利用して車で山に星を見るために出かけていました。最初は会社から比較的近い奥多摩有料道路が観測場所だったのですが、さらに空の暗い場所を求めて、山梨県牧丘町(当時)にある乙女高原という場所に行くようになりました。ここは標高1600m、周囲は夏になるとヤナギランなどの高山植物のお花畑となる、それは美しい場所でした。すぐ近くに甲府盆地が広がりますが、当時はまだ甲府の市街光はそれほど強くはなく、本当にすばらしい星空が見られたのです。
委員会ではこの高原での観測会が話題となり、大変深刻な問題が提起されました。実はメンバーの約半数が自社の望遠鏡ではなく高橋製作所の望遠鏡を使用していました。当時、アマチュア用に特化した望遠鏡メーカーは殆ど高橋製作所のみで、他メーカーの望遠鏡は性能的にアマチュアの満足がまだ得られない時代だったのです。
「これは望遠鏡メーカーとしては恥ずかしい事実ではないか」「我々が乙女高原で使うために理想的な望遠鏡を創ろう」という機運が生まれました。その理想とする望遠鏡の開発コードネームを Mark-X として、さっそく(今様に言えば)開発コンセプトを検討することになりました。(Suzu)


マークX物語(1)

2012-12-04 12:49:23 | マークX物語

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私は1970年代の中頃、新しいコンセプトを持った赤道儀、マークXの開発に携わらせていただきました。その思い出などを何回かに亘ってお話をさせていただきます。

第1話 本当は小型望遠鏡から撤退の予定だった。
最近、五藤光学研究所の倉庫の奥から、70年代の小型望遠鏡開発会議録というファイルが出てまいりました。これがマークX赤道儀開発の経緯を記したものなのです。懐かしさでページをめくると、20代の自分に戻った思いがします。
当時わたしは企画部という部署に所属していました。60年代後半から理科教育振興法(理振)という法律によって、国内の学校は理科設備を充実させてゆきましたが、天体望遠鏡もこの法律に基づいた基準があり、いま思うと膨大な数量の望遠鏡が各学校に納入されてゆきました。ところが70年代に入るとそれが充足されて、販売量が少しずつ減少してゆくようになったのです。
企画部長は私に「役員会では小型望遠鏡からの撤退を考えているが、本当に小型望遠鏡の市場に未来はないのか、検討してもらいたい」という指示を出したのです。私は社内横断的なプロジェクトチームを立ち上げ、調査を開始しました。その結果、学校用の望遠鏡は間違いなく減少傾向が続くが、アマチュア天文家用の需要は今後伸びるとの結論に達したのでした。(Suzu) 

画像:五藤式 3吋(75mm)屈折赤道儀