先月末に「武士の家計簿」を読んだ。磯田道史さん(歴史研究 者・学者)著のこの本のことを7年前にちょうどラジオで聞いて、面白そうな本だなぁと思った。だが、色々あった7年間。手にしたのは先日。ちょっと触れたが境雅人主演で映画化され公開されると知ったときに、「え~、私まだ読んでいないのに~~」と慌てて図書館で借りてきた。(私この頃図書館をよく利用するのです、なんといっても通勤途中にあるのが便利です) 加賀藩の御算用者(藩の会計係とでもいうのでしょうか)を代々務めていた猪山家の幕末から明治までの家計簿を残していた。その膨大な資料と神田古本屋で磯田氏が出会った所から、武士の暮らしぶりを読み解いていく本だ。
幕末の竜馬とか西郷隆盛とか、桂小五郎とか…篤姫やら慶喜と錚々たる面々ではない、中級管理職、あるいは下級管理職と言った感の武士猪山家の年行事や衣食住にかかった経費、交際費などなどから暮らしぶりがみえてくる。維新によって藩職ではなく海軍省に勤めて武士からの移行もうまくいったかの様子まで面白く読んだ。 多分映画は見に行かない。 テレビで放映があったら見るか、見ないか。それでも境正人の芸達者ぶりや仲間由紀恵のしっかり奥さんを想像しながら本を楽しんだ。
そして、先週ほぼ一週間の娘宅に滞在一日目、婿殿から紹介された「相克の森」(熊谷達也著)を読み切った。以前同じ熊谷による「邂逅の森」を読んでいる時に彼も読んだことが分かってはなしをした。丁度友人と青森白神山地のトレッキングを楽しみ、そのガイドをマタギさんにして貰った直後であったので、その彼のイメージ=市の職員をしながらマタギをしていたこと、私たちを案内しながら目にぴしっと緊張が宿る時にはマムシを狙っていたり、足元の注意、木や花のことを教えて貰い、クマが数日前に通った跡をみ、彼がマタギであると自己紹介した時から台風の真っただ中でも安心してガイドを任せることができたので本当に頼もしく、楽しかったトレッキングを思い出しながら「邂逅の森」を読んだのでした。あの時も一気に読んだ。今回は孫たちが寝てからの1,2時間ずつだった。
マタギの話だということはすぐ分かって、自然保護団体の言い分とのぶつかりあいの話しかしらと読み進めていったら「邂逅の森」の主人公の名前が出てきて、前作の延長線上にある本なのだと読み進めた。『山は半分殺して(のして)ちょうどいい』 主人公が出会った言葉をキーワードに物語は展開していく。生態系COP10があったばかりだが、自然保護を声高に言う時に一見正論でご説ごもっともなのだがどこかに胡散臭いものを感じたりすることも多くあって、だからって深入りしない自分もいたりするのだが・・・
自然は人間が手を加えて変えられる、あるいは守れるほどやわではない。もっと畏敬に値する重い存在なのではないだろうか。地球環境問題を学んだ時も確かに温暖化している現実は人が住みやすくしていた時期と比例して状況が悪くなっている。人のせいかと問われればそうなのだ。だが長い地球の歴史の中で氷河気も氷が解けた時も経て今日がある。過酷な自然変化のサイクルには急な成果を求めるより、じっくりと遠い先を見て続けられる中からしか対応できないのではないかと、ふと思ったりしている。きっと自分ではそこまで体験はしないだろう生臭い場面も実体験のように迫ってくる。かなり骨太の作品だった。この手のもの、病みつきになりそう。好きな作品の一つになりそう。最後は爽やかな風が吹いているような読後感だった。自然の恵み、自ら痛みを持って享受しているだろうか。人間の欲望、業で当たり前のように飲み、喰い、生活している中で、いのちあるものに対する畏敬、いのちを頂く時に悼む覚悟というのか、共生ではなく搾取している現実への詫び未知な感覚だろうか。重いのだけれど面白かった。読み終えて、中身を話し始めたら婿殿、実はまだ読んでいないのだとか。余談ですが彼は古本買いの常連、単行本たったの105円ですって…きれいなハードカバーでした。
そしてこの間気付いたこと。昼間仕事をしたり、孫の相手をしたり、家事を手伝ったり、実はPC仕事も一つ持っていったのだがPCを開けて仕事をする気にはなれないなという位の疲れだったのに、本を開けると活字は追える。面白く読み進めることができる。PCと読書は使う脳の場所が違うのだろうか。何だか得をしたような気分だった。
今読んでいるのは、母のお下がり。宮部みゆきの短編集。
89歳の母はすごいと思う。時々本屋に行って2冊ぐらいずつ文庫本を買ってくる。91歳のおばも読書家。母によく本を回してくれる。月に一回のかかりつけの内科医、二カ月に一回の病院の外科外来検診。月に2,3回近所のスーパーかちょっとバスを使ってデパートの買い物。お天気のいい時に2-30分の散歩または天気が悪ければ家の廊下を何往復も。そして庭の木々への水やり。そんな日々の生活の中でほぼ毎日本を読んでいる時間がある。面白い本で一気に読んで目が痛くなって、泣く泣く本を置くことがある。義母も同じくらい本を読む。
でも私は到底その読書量に追いつかない。母のお下がりの本、もう3冊溜まっている。仕方ない、合間に仕事がらみの本が入るのだから…と自分で自分を慰める。