私たちがあったのは何年前かしら? 4年前よ。
そう、4年ぶりだったの・・・晩秋の長野教会の土曜日のミサに彼らが旅の途中で寄ったのは。
J&J夫妻は大の日本びいきのようでご主人は4回目、奥様は2回目だった。JR乗り放題の格安プランでホテルはいつも駅のそば、あった年は秋田、山形、新潟を回って最後に長野だったのだが、観光も駅の周りだけと聞いて、紅葉には遅かったのだが郊外の山に一緒に行った。とても喜んでくださって、クリスマスカードのやり取りが始まった。
今年の初め、私がオーストラリアに行っている時に北西部にある彼らのいるクイーンズランド地方で大洪水があってその安否を尋ねたカードに、今度は日本の大地震のお見舞いカードが帰ってきた。「私たち5月末から日本に行くからあえないかとあった」 そして到着した関西空港・大阪から最後の数日の東京にいる間の都合のいい時に会おうと電話が入った。
それから、さてどこに案内しようか色々と考えて仕事の段取りもつけて日取りと候補地を書いた手紙をホテルに送っておいた。丁度梅雨時、東京についた彼女から天気がどうなるか分からないから、当日の朝あってからどこに行くか決めましょうと。そりゃそうだ・・・私の提案はほとんど公園中心だったので。
さて、何だか薄曇りの雨が降らないといいなぁという今週の初め、ホテルでJ&Jにあった。何しろ一日英語で過ごさなくてはならないと思うとどうなることかと不安だったけれど、話は半分位しか通じていないかもしれないけれど、まずは東京に来てからどこへ行ったのか聞いてみた。
奥様だけ銀座へウィンドウショッピング、ご夫婦で渋谷へ行って若い人の多いのにびっくりした日、秋葉原も二人で行っていやぁ電気屋さんばかり、どうしてこんなに沢山人がいるの? そして見んな携帯片手に歩いていた!と思ったそうな。前の日は午後から日暮里に行って町を歩いたそうな。日暮里だんだんのことかな。それで今日はどこへ行きたい?と聞いたら池袋と言う。池袋に何か目的の所があるのかしらとちょっと意外だったので聞いてみたら、10年間に二人できた時に行ったことがあるだけで何もないので他の所でもいいと。
そこで前日に仕入れた新しい候補地として隅田川の水上バス+浅草(スカイツリー船から見るだけ)を提案。小さい船だけど乗る気はあるか?と聞いたらOK!ということで出発。
品川に滞在していたので日の出桟橋に移動。JRとゆりかもめを乗り継いで移動したのだけれど、ゆりかもめの乗り場にNew transitとあって何?ときかれても、事前勉強をしていかなかったので一苦労。ボランティアの方が券売機や改札のそばにおられたので聞いてみてもはっきりとした答えがなくて、ゴムのタイヤ(普通と一緒?)でレールじゃない所を走っている乗り物としか分からなかった。〈後からHPをみて、ようやくわかったので 知りたい方はこちらで。
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丁度10分後に浅草行きが出発とのこといいタイミング。船に乗り込んだら、お台場の方から「あれ!!中国のジャンク船みたいじゃない?!」とJ&Jは大興奮で朱塗りご座船安宅丸
帆があるように見えるし派手な姿でしたが…写真を撮ってました。勝鬨橋から吾妻橋の隅田川にかかる12この橋の下を45分位、怪しかった空に陽がさして程よくゆったり、この橋は跳ね橋だったとか、この橋が一番古いのだとか、昔はこの隅田川を境にダウンタウンがはっきり分かれていただの歴史の話も少しはしたり、こちらのビルのむこうがこの間いった銀座よとか、あそこにみえるのがSUMOUをする国技館だとか、あれが建設中のスカイツリー、足元の駅はすごく小さな駅だったのに見物客でいっぱいになってそこも綺麗になっているのよとか、出来上がると見物料は高いのとかとか・・・ふぅ~~大変だったけれどなんとか浅草到着。
丁度お昼時、お蕎麦屋さんに入ってゆっくり食べて、この頃には耳も度胸も英語に慣れてきて会話もチョット楽しくなってきた。ウン、その食事中に大震災の話になって、日本は島国だけれどいつからこういう形になったか知っているか?とか中国や韓国がルーツだとしたら、その時には大陸と繋がっていたのかとか、日本人のルーツと文化の話になって…私たち英語でこんな話しをしていると自分で感動ものでした、よ。
浅草の仲見世をプラプラしてJiは手焼きせんべいをお土産に買って、Jhは孫へのお土産を探してうろうろ(結局買わなかったけど)浅草寺と浅草神社まで。ここでまた神社とお寺の話し、お地蔵さんの赤いエプロンと帽子のなぜ~~冷や汗です。だってうまく説明はできないです、英語だからという問題でもない。知識がないことが問題。なんとか英語の説明のある札を利用して凌いだ。
町をぶらぶらして彼らの疑問:
若い女の子はどうしてかかとのないヒールのサンダルをパカパカ言わせて履いているのか?
黒いスーツを着た若い子たちがキャリーカーを引きながら歩く集団に、なんだなんだ?と。多分新人さんのビジネス研修かな。
浅草の人力車のお兄さんの足元を見て「ninjya socks」か?
皆が携帯をもって人の顔を見ていないのが残念とか。
仲見世で中学生と思しき集団にあって周りが見えていない歩き方にどこも若い子は同じ?
のどが渇いても仲見世には座ってゆっくりできる所がなく、一筋裏に入ったコーヒー屋さんに入った。カフェオレとっても気にいっておかわりまでして、ママさんを喜ばせ、彼らも喜んで、こちらオーストラリアから見えているのと言ったらママさんの娘さんずいぶん前だけれどシドニーのオペラハウスで踊ったことがあると。それを告げたら僕の奥さんもオペラハウスにでたことがあると!! 奇遇にびっくりして…これも身ぶり手ぶりを交えて通訳、ふぅ~~。
そうそう、一筋裏にあった刃物屋さんに展示していあったスイスナイフ?サバイバルナイフの昔のなのでいかつい感じのもの、すごく年季が入っているものだと思うけれど朱書きで「遺物」とあって名前が書いてあったのでご先祖様が作られたのだろうけれどなんと値段が3,000,000,000円だったのです! 一、十、百・・・と数えちゃいますよね。非売品というくらいの価値だといいたいのでしょうけれど、値段つけないほうが品がありますよね。お嬢さんへお土産にのペティナイフを探していたのですが、お店の若主人、全然売る気なしのようでした。足を延ばせば河童橋道具街があったのですが、そろそろみなのどが渇いて着ていたのでやめました。
地下鉄でふた駅、上野に出て、品川に戻った駅で別れた。次にはオーストラリアで会おうって…おじょうさんのところにいくまえによってね、って。ケアンズとパースはどのくらいかかるの?と言ったら飛行機で5時間とか(ほんとう??)、だから寄れると。いつかなぁ・・と言っているうちに娘たち帰国するかもね。
10時から16時、とっても充実した一日を楽しく過ごせてよかったです。ちゃんと英語通じている、あなたのも私のもと言われました。