嫁いだ先のお墓はお寺の境内にあるので、生来のカトリックである私には何となく抵抗があって若い時に同世代の友人達と市霊園の中にあるカトリック霊園に墓所を買いました。もう10年以上も前でしょうか。その友達と墓石も立てておこうかという話が出て、二人とも乗り気になったのですが先達に『子供の仕事を取っておきなさい』と言われて止めました。
更に数年して、テレビで北欧だったと思うのですが“散骨の丘“といって、広い所に花々が一杯のモニュメントがあり亡くなった方々のために祈る場所があり、納骨をして貰いたい人は納骨施設もあるけれど、基本はその先にある丘に散骨するというもので、とても心に残りました。墓が無くても死んだ私のために祈ってくれる場所があれば散骨でいいと思いだしました。
その頃、カトリック霊園は墓域に空きの墓所が少なくなり、ロッカー式の墓所と共同墓域を作るという話が出始めました。
私は東京生まれの東京育ちで、実家の母方も父方もお墓の中に骨壷ごと納骨していましたので、長野へ嫁して初めて親戚の納骨式に参加した時に墓石の下に骨壷から直に散骨した時には本当にびっくりして物です。でも、共同墓域の話が出た時にテレビで見た花に囲まれた場所なら、教会で信仰を同じくする人が祈ってくれるならばそれはとても嬉しいことではないかと思いました。自分名義のお墓ではなくて、直接共同墓域への散骨でいいのではないかと。
実際に霊園の改装がなされたのは2年前。子供たちにもそれぞれにそんな思いを伝えていたと思います。
そして、去年霊園の担当の方にその旨話したら、子供の署名とハンコが必要と言われて改めて息子に話したら、はじめて聞くような反応でした。娘たちは母がいいのならと言いますがちょっと複雑そうでもありました。そういえば私が両親から「○○の置き場所はここ」「▼△はこちら」といざという時に見る場所を何回聞いても右の耳から左の耳にスル―しているように、子供というのは親の「その時」をあらかじめ真剣には受け入れないのだろうなとは思い、すんなり話しを進めてしまうことにためらいもあって、息子の署名もハンコももらわずに置きました。
入るお墓にこだわりがある訳ではないのです。だってその時に私は死んでいるのですから。でも、迷いはじめてこの春、役員が変わって担当者に迷っている気持ちを伝えたら、あなたの墓域はもう他の人に譲ったよと。(手続き的には署名捺印のある正式な書面は提出していない訳で、墓域変換手続きは完了していないでしょ!とは思うのですが)でもあと5か所墓域が空いているからと、あれよあれよという間にまたまた私名義の墓所復活の方向になってきました。死んだあと、子供たちが決めてくれればいいかとか、『子供の仕事を残しておく』ことになりそうになって、優柔不断な私はちょっと困っています。
去年、勤務先で埋葬をテーマに講座があったことがありました。その中には樹木葬とか桜葬とか…日本でも十数年前に見た北欧のような考えの人が出てきているのだ!と認識を新たにしました。散骨は日本の法律上手続きが難しいので大まかな墓域を決めておいて、その下に納骨して木とか花、草のある墓域が墓所とする方が受け容れ易いとテレビでも取り上げられました。何で今回、私の墓所が元に戻る流れになったのかというと、役員の方の発想では、(1)地方では特に共同墓域に散骨というのは長年放っておかれている親族と無縁になっている方のためと(2)子供の世代がカトリックではなくて信仰の違う両親(日本ではまだまだ多い)が二箇所の墓所に別れることを面倒に思い一つにしたいので分骨用にというもので、共同墓域を選択するとカトリック霊園の運営組織の中では会員でもなくなるので会費も管理費も払わなくていい存在になってしまう、という点にありました。市への管理費はともかく、信仰が同じだからということでカトリック霊園へという最初の気持ちから言えば、会員ではないというのが引っ掛かり始めたのです。私がそんな話をすると、確かに変だと思っていたという人は何人かおられました。でもそこを変えるには会則を変えなくてはならず、会則を変えるには会員でなくてはならず…と。会員であっても会員でなくても、カトリック霊園の共同墓域に眠りこんな人が教会にいたんだなと思いだして下さる方が少しでもいる間は私のために祈ってくれる、それでいいのですが。
老い支度はなかなかすっきりとは行かないものですね。
でも、葬儀の時用の写真は用意できそうです。出来上がりが楽しみです。すご~く年齢を重ねる気はさらさらないので余りにも先で「この写真、若すぎない?」と言われない位の時に逝きたいものだなぁと思うのですが、またこんなことをいうと子供たちの嫌~な顔が目に浮かびます。ごめん!
更に数年して、テレビで北欧だったと思うのですが“散骨の丘“といって、広い所に花々が一杯のモニュメントがあり亡くなった方々のために祈る場所があり、納骨をして貰いたい人は納骨施設もあるけれど、基本はその先にある丘に散骨するというもので、とても心に残りました。墓が無くても死んだ私のために祈ってくれる場所があれば散骨でいいと思いだしました。
その頃、カトリック霊園は墓域に空きの墓所が少なくなり、ロッカー式の墓所と共同墓域を作るという話が出始めました。
私は東京生まれの東京育ちで、実家の母方も父方もお墓の中に骨壷ごと納骨していましたので、長野へ嫁して初めて親戚の納骨式に参加した時に墓石の下に骨壷から直に散骨した時には本当にびっくりして物です。でも、共同墓域の話が出た時にテレビで見た花に囲まれた場所なら、教会で信仰を同じくする人が祈ってくれるならばそれはとても嬉しいことではないかと思いました。自分名義のお墓ではなくて、直接共同墓域への散骨でいいのではないかと。
実際に霊園の改装がなされたのは2年前。子供たちにもそれぞれにそんな思いを伝えていたと思います。
そして、去年霊園の担当の方にその旨話したら、子供の署名とハンコが必要と言われて改めて息子に話したら、はじめて聞くような反応でした。娘たちは母がいいのならと言いますがちょっと複雑そうでもありました。そういえば私が両親から「○○の置き場所はここ」「▼△はこちら」といざという時に見る場所を何回聞いても右の耳から左の耳にスル―しているように、子供というのは親の「その時」をあらかじめ真剣には受け入れないのだろうなとは思い、すんなり話しを進めてしまうことにためらいもあって、息子の署名もハンコももらわずに置きました。
入るお墓にこだわりがある訳ではないのです。だってその時に私は死んでいるのですから。でも、迷いはじめてこの春、役員が変わって担当者に迷っている気持ちを伝えたら、あなたの墓域はもう他の人に譲ったよと。(手続き的には署名捺印のある正式な書面は提出していない訳で、墓域変換手続きは完了していないでしょ!とは思うのですが)でもあと5か所墓域が空いているからと、あれよあれよという間にまたまた私名義の墓所復活の方向になってきました。死んだあと、子供たちが決めてくれればいいかとか、『子供の仕事を残しておく』ことになりそうになって、優柔不断な私はちょっと困っています。
去年、勤務先で埋葬をテーマに講座があったことがありました。その中には樹木葬とか桜葬とか…日本でも十数年前に見た北欧のような考えの人が出てきているのだ!と認識を新たにしました。散骨は日本の法律上手続きが難しいので大まかな墓域を決めておいて、その下に納骨して木とか花、草のある墓域が墓所とする方が受け容れ易いとテレビでも取り上げられました。何で今回、私の墓所が元に戻る流れになったのかというと、役員の方の発想では、(1)地方では特に共同墓域に散骨というのは長年放っておかれている親族と無縁になっている方のためと(2)子供の世代がカトリックではなくて信仰の違う両親(日本ではまだまだ多い)が二箇所の墓所に別れることを面倒に思い一つにしたいので分骨用にというもので、共同墓域を選択するとカトリック霊園の運営組織の中では会員でもなくなるので会費も管理費も払わなくていい存在になってしまう、という点にありました。市への管理費はともかく、信仰が同じだからということでカトリック霊園へという最初の気持ちから言えば、会員ではないというのが引っ掛かり始めたのです。私がそんな話をすると、確かに変だと思っていたという人は何人かおられました。でもそこを変えるには会則を変えなくてはならず、会則を変えるには会員でなくてはならず…と。会員であっても会員でなくても、カトリック霊園の共同墓域に眠りこんな人が教会にいたんだなと思いだして下さる方が少しでもいる間は私のために祈ってくれる、それでいいのですが。
老い支度はなかなかすっきりとは行かないものですね。
でも、葬儀の時用の写真は用意できそうです。出来上がりが楽しみです。すご~く年齢を重ねる気はさらさらないので余りにも先で「この写真、若すぎない?」と言われない位の時に逝きたいものだなぁと思うのですが、またこんなことをいうと子供たちの嫌~な顔が目に浮かびます。ごめん!