ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

心遣い

2010-01-23 21:46:48 | 日々の出来事
 今日の演台に水仙が飾られていた。

 ちょっとした心遣いで、柔らかな空気が流れるときがある。新しい講座の始まる時、講師を初めて迎えるとき、受講者の受付が始まる時…それ以前の企画を立てていくときからはじまるスタッフの引き締まる思い。ある時は心地よいモチベーション、緊張感の中で、ある時はちょっとした高揚感の中で、チームワーの上手くいく時も、ぎくしゃくしそうな時~~ほんの少しの心遣いが、ほんの少しの気遣いがほわぁとした灯火になる時がある。

 私はそんな一瞬が好き。

中華料理

2010-01-22 22:31:04 | 料理
 今日はuedaでの料理教室助手…実は私、中華は20代も前半の頃一回だけの講習に参加しただけまったくの生徒状態なのでありますが(><)

今日の献立は
西芹拌鮮貝と書かれても読み方は分かりません。シイチンパンシェンペイと読むようです。帆立貝柱とセロリの和え物
豚バラ肉と大根の煮物
ハムと魚の蒸しもの
かにと卵のスープの4品でした。

ありがたいことに今日は余り恥をかかずに助手できました。
どれも胃にやさしい味付けで完食!!

この1週間の距離移動は2往復で1000kmを超えました。でもなぜか元気。

小正月行事食

2010-01-20 06:40:41 | 料理
 1月15日は小正月といって、この15日までが松の内であったときも会ったらしいが、すでに私の小さい時は7日までが松の内と教えられていた。今は三が日が過ぎると仕事始めになるいわゆる暦どおり、7日七草というのがかろうじて残っているのだろうか。女正月ともいい、暮れから正月のねぎらいに(また赤を忌み正月から避けていた小豆をつかう)、朝小豆かゆを食べる習慣があったそうだ。この小豆かゆも私の生家ではしなかった。

 もう過ぎてしまったけれど、昨日の献立は小豆かゆを入れてみた。参加した生徒の中に、『そういえば、小さい時に甘くない小豆が沢山入ったものを母が作って、食べろ食べろといったが、それが嫌で嫌で仕方なかったけれど、あれは小豆かゆだったのだろうかしら』といっていた。まだ生活の中で行事食が生きているところもあるのかもしれない。柔らかくゆでた小豆と餅(粥柱という)をお粥に入れて、好みで砂糖を振りながら、塩をかけていただく。赤飯にごま塩を振るのを思えば塩を振っていただくのもさっぱりしている。「お粥に砂糖?」と恐る恐る砂糖を少し振り口に含むと、案外美味しくてもっと砂糖を振りたくなりもう一口、そしてされに砂糖を入れる。みんなの反応を見ていると、砂糖と小豆に相性に私達がなれているのだと改めて思う。

 他にはかにの黄身酢和え、中に使ったうどの皮のきんぴら、ほうれん草の胡麻浸し(胡麻和えではない、おひたしの変型判、ただ胡麻を振り掛けるのでもない)

 うどの桂むきとか、黄身酢を作る稽古になったが難しい献立ではなかった。喜んでいただけて感謝。

富士山大好き・・・なのに

2010-01-18 19:03:08 | 日々の出来事
 ブログは毎日つける習慣が大事なのに、10日以上ぐらい休んでしまった。それでも訪問者があったようです。ごめんなさい更新していなくて。6~9日は娘のところへ、9~11日は箱根での研修合宿。12日からもあっという間。

 今年は元旦から富士山が見え、ラッキーなはじまり。勿論箱根でも青空に白い富士山はばっちり、全然寒くなくて気持ちのいい散歩の時間も取れました。

 そして昨日、関越道を通って自宅に戻りました。いつも全然気がつかなかった本庄あたりから上里まで(いえ、もう少し先まで)左手にくっきり青空に冠雪がくっきりきれいな山がみえて、「いやぁ新幹線で上り大宮あたりから富士山が見えるのだからあっちの方に富士山があってもおかしくない!」と思い込んで大感激!!上里でわざわざSAにはいって、端っこの雑木の先のフェンスまでいって写真も撮ったのですが。

 藤岡から上越道に入ってしばらくいって、あれ~~~?? 「さっきのは浅間山??」 段々見慣れた浅間山が近づいて大きくなっていく…がぁ~ん (><) ショックで、いや富士山でなかったことではなくて、自分が間違えたということ。浅間山はとってもきれいで噴煙も出てました。 どう頑張ってもきっと富士山ではなかったですよ、ね。

 そんなこんなで晴天のドライブ日和に帰路につき、眠くなることなく冷凍庫化した自宅に辿り着きました。すぐに暖房を入れたのは言うまでもありません。でも友人たちの親切な脅しメールに覚悟していたせいか、夜までには落ち着けました。
さて、明日からカルチャー教室の稽古始めです。

苔玉作り初挑戦!!

2010-01-05 20:04:42 | 日々の出来事
 一昨年、還暦のお祝い返しに母に苔玉を選んだ。表面が乾いたら水をたっぷり吸わせて、時々陽にあててという育て方を忠実に守り、減ること1年半。無残にも苔の色はどこへやら形は苔玉の体をなしているが、三本植えだったものは一本になっていた。

 気になっていたがなかなか寄れなかったお店に、昨日寄って直してもらえるかたずねて話し込んでいるうちに、「大勢に要望があったので「苔玉キット」を作ったので自分でやったらどうですか?簡単だし、楽しいし、直しよりずっとリーズナブルだからどう?」と言われてすっかりその気になってキットを買った。

 苔玉キットは、とても親切:B4くらいの大きさの苔、ケト土・赤玉土・薫炭、糸、ビニール手袋、土をまとめやすいように白いウレタン、そして丁寧な作り方手順が入っていた。
 まず、前の苔玉の糸を外し、黒くなってしまった苔を外した。写真は苔玉から苔を外したところ。ボールの中はケト土と赤玉土、薫炭。器の手前が苔。入っていたケト土と赤玉、薫炭を混ぜ耳たぶ状態まで練りこみ、残っていた土にかぶせつけるようにして、苔を巻きつけて球状を作り、糸で形を整えながら苔を安定させていく。出来上がり。

 案ずるより産むが易しという感じで、テーブルの上に新聞紙を敷いて、ボールの中で土をこねて、泥団子か毛糸玉という感覚で作れた。以前、苔玉を作ったことがある義妹にも聞いたりしていたが、「お姉さま、はまりますね」と言われた。やはり土いじりは楽しかった。

三が日

2010-01-03 21:41:18 | 大切な人 家族・友人
 昨日の朝の陽ざしの中、二階の出窓に置いてある4年目になるのだろうか胡蝶蘭の花芽がキラキラ輝いて見えた。なかなかうまくは撮れなかったのだけど、記念にアップ。

 今日は長女家族、次女家族、姪家族に母と私の昼食。メニューはほとんど元旦昼食と同じ。更に、長女がお重につめたおせちを持ってきてくれ、妹がチーズを詰めたフランスパン、姪が頂き物のスイカを差し入れしてくれての大賑わいの食卓だった。デザートの頃には弟夫婦に姪夫婦も加わり20人…あっちでもこっちれもワイワイガヤガヤガヤ。夜、母が一体今日は何人だったのだろうとつぶやいた気持ちも分かる。

 2時半ごろ、3時過ぎ、4時ごろ、4時半過ぎ…5時近くには母と二人。静かな夕方になった。お・わ・った・・・三が日。

元旦のおせち料理

2010-01-01 22:53:03 | 料理
 あけましておめでとうございます

 今年もよろしくお願いします

 いつもながらのお正月の挨拶だが、親子も兄弟も親戚も友人も知人も出会う人に同じ挨拶をする。改まって同じ挨拶をする。そのことに今日なんだかほっこりした。

 作ったおせち料理はもっとあるけれど、朝からいっぱい食べられなくなった母と私。もっと人数が増えたときに出すことにして、今朝は少量ずつこれだけ。祝い膳もまねごとのようだ。それでも暮れになるとおせち料理を作ってしまう…。

今年もよろしくお願いします

2010-01-01 22:19:44 | 日々の出来事
やはり予想通りの一日でした。
 
 今朝は、お雑煮ともたれない程度に少量ずつのお節
 洗い物の後はすぐに、お昼の下ごしらえ。
 私だけミサ…母はやはり一昨年からいらした司祭の
 長~いミサに元旦からイライラしたくないとお休み
 でも、今日のミサはその司祭ではなく代理の司祭で短かった。
 その後、弟たちと墓参。
 帰ったら12時半を回っていたので
 サッササと続きを用意して7人の昼食:
 パン2斤半、鳥の丸焼き一羽半、ハムソーセージとサラダ
 一度解散して、ちょっとマッサージチェアに座りましたが
 机を延長して大きくし
 やっぱりできるところまでやろうと野菜を切って用意。
 そこへ、従姉夫婦(近所にいる)が年賀にみえた。
 やっておいて良かった…
 ほぼ同時に妹の家族5人到着。
 5時に従姉が帰ってから、残りの肉、魚などを用意し
 二つの土鍋にそれぞれ、一回目の分は煮初めて
 その間にお刺身用の大根づまを切って用意。
 6時過ぎかな12人(+赤ちゃん)の夕食開始。
 いやぁ、去年4月生まれの姪の子と、今年3月に出産予定の姪の
 出産談義、育児談義、甥っ子姪たちのサラリーマン談義…
 片付けも並行しながら、妹手作りのケーキのデザートを終えても
 まだまだ話は続き…。
 母はマイペースに途中で入浴、自室のベッドで
 テレビ観戦…。
 9時過ぎにやっとお開き。
 乾いた食器を片づけ、あちこちを原状復帰し
 お風呂に入って、やっと一息つきました。

 でも、いいわぁ。今日は心地よい。
 富士山も墓参に行く途中で見えたし、
 気持ちのいい一日でした。 

アップした写真は宝船、七福神の置物はいくつも父が遺したもの。
亡くなってから、知らなかったものも押入れの奥からいくつも出てきて
一つずつ、毎年この時期に飾る。
姪のカナダ人の夫いわく、「この家はミュージアムのようだ」
68歳で脳梗塞になった父はリハビリ代りにデパートに行くようになり
買い物好きだった祖母のように、いろいろなものを買い求めた。
両親のそれぞれの祖父、祖母からのものも含めて
雑多なお宝がいっぱいある。
 (一昨日、その姪の夫に大正14年に祖母が買い求めた浮世絵の版画を
  母があげた。彼らは大喜びで、カルガリーの自宅に飾るという。)
きっと父の求めた七福神は、今25人になった直系の家族に
福をもたらしてくれているに違いない。