・血を同じくしあう骨肉の存在が、
人間にとってどんなに心丈夫で安心できるものか、
まざまざと思い知らされた。
むろん、中国残留孤児の場合は、
血縁が現われることが政治機能を左右するので、
よけい痛切な立場となるのである。
国の放漫で冷酷な政策で捨ておかれた孤児たちが、
何十年もたってなお、祖国と血族を呼びつづけ、
手をさしのべてくる。
その悲痛な叫びを、
われわれ世代の人間はきっと生涯、
忘れないと思うのだ。
それと共に、
親子の絆も絶えないものと、
私たちはいかにも深く思い知らされた。
雪の荒野や駅の雑踏ではぐれた母子が、
何十年もたって抱き合って泣いている、
(日本人の孤児たちを捨てずに育てて下さった、
中国国民の方たちの暖かさを知りました・・私見)
さかしらな人智を越えて、
血と血が呼び合ったとしか思えない。
この日本の社会では、
血の濃さに盲目的信頼がおかれて、
その汚さを思い知る機会は少ない。
子供たちは、親と子、きょうだいの、
血の熱さばかりになじまされて育ってしまう。
母と子が密着して、父親が疎外されるという形で、
血の濃さをおぼえてゆくのは、
あれはいちばん(かなわんなあ)と思う。
憂慮するとか、概嘆するなどというものではない。
ただ、(かなわんなあ)という気持ちなのだ。
私は教育の専門家ではないけれど、
子供に関する問題は、夫婦の問題に帰着する要素も、
大きいのではないかと思う。
夫婦が仲良く、
どちらの影響も等分に子供に与え、
子供は両親のよいところを教えられて育つ、
というのが理想論なのであるけれど、
さらに理想をいえば、
母親は一族の血の熱さ、血のぬくもりを教え、
父親は血の汚さを教え、
「血は水より濃い」場合があることを、
広い世間に、この家庭の桃源郷の外に広がっていることを、
教えるようなものであればいい、
と私は願っている。
私がこういうと、
「なぜ血は汚いのですか」
と思われる方があるかもしれない。
物欲や愛情がからむと、
血縁同士の相克は他人のそれよりすさまじいことは、
みんな知っていることである。
血で血を洗う、という争いを兄弟同士でくり返し、
仇敵のごとくなってしまうのは、
遺産相続でよく見られる現象である。
あれは血がおたがいのあたまを逆上させるので、
兄弟の軋轢が醜いという以上に、
私には(血は汚いものだ)
という感覚で捉えられる。
出来の悪い息子に会社をつがせようとして、
四苦八苦する経営者。
無能なぐうたら息子をあとつぎの医者にしようと、
何億という巨額の金を積んで裏口入学させる医者。
われわれ外野から見ると、
(止せばいいのに、あんな豚児に・・・)
と気の毒なようなものである。
そんな金があれば、
育英会の資金にするとか、
医師国家試験を誰でも受けられるように解放する、
運動資金にしたほうがいい。
医学部卒業生で、
何べん受けても落ちるような見込みのないのより、
受験資格の枠を取っ払って、
学閥もなくしたほうがいい。
在野の有能な人間を拾いあげるほうが、
ずっと人のため、世のためだ。
(次回へ)