むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

6、血と水 ②

2022年07月07日 08時04分33秒 | 田辺聖子・エッセー集










・血を同じくしあう骨肉の存在が、
人間にとってどんなに心丈夫で安心できるものか、
まざまざと思い知らされた。

むろん、中国残留孤児の場合は、
血縁が現われることが政治機能を左右するので、
よけい痛切な立場となるのである。

国の放漫で冷酷な政策で捨ておかれた孤児たちが、
何十年もたってなお、祖国と血族を呼びつづけ、
手をさしのべてくる。

その悲痛な叫びを、
われわれ世代の人間はきっと生涯、
忘れないと思うのだ。

それと共に、
親子の絆も絶えないものと、
私たちはいかにも深く思い知らされた。

雪の荒野や駅の雑踏ではぐれた母子が、
何十年もたって抱き合って泣いている、
(日本人の孤児たちを捨てずに育てて下さった、
中国国民の方たちの暖かさを知りました・・私見)
さかしらな人智を越えて、
血と血が呼び合ったとしか思えない。

この日本の社会では、
血の濃さに盲目的信頼がおかれて、
その汚さを思い知る機会は少ない。

子供たちは、親と子、きょうだいの、
血の熱さばかりになじまされて育ってしまう。

母と子が密着して、父親が疎外されるという形で、
血の濃さをおぼえてゆくのは、
あれはいちばん(かなわんなあ)と思う。

憂慮するとか、概嘆するなどというものではない。
ただ、(かなわんなあ)という気持ちなのだ。

私は教育の専門家ではないけれど、
子供に関する問題は、夫婦の問題に帰着する要素も、
大きいのではないかと思う。

夫婦が仲良く、
どちらの影響も等分に子供に与え、
子供は両親のよいところを教えられて育つ、
というのが理想論なのであるけれど、
さらに理想をいえば、
母親は一族の血の熱さ、血のぬくもりを教え、
父親は血の汚さを教え、
「血は水より濃い」場合があることを、
広い世間に、この家庭の桃源郷の外に広がっていることを、
教えるようなものであればいい、
と私は願っている。

私がこういうと、
「なぜ血は汚いのですか」
と思われる方があるかもしれない。

物欲や愛情がからむと、
血縁同士の相克は他人のそれよりすさまじいことは、
みんな知っていることである。

血で血を洗う、という争いを兄弟同士でくり返し、
仇敵のごとくなってしまうのは、
遺産相続でよく見られる現象である。

あれは血がおたがいのあたまを逆上させるので、
兄弟の軋轢が醜いという以上に、
私には(血は汚いものだ)
という感覚で捉えられる。

出来の悪い息子に会社をつがせようとして、
四苦八苦する経営者。

無能なぐうたら息子をあとつぎの医者にしようと、
何億という巨額の金を積んで裏口入学させる医者。

われわれ外野から見ると、
(止せばいいのに、あんな豚児に・・・)
と気の毒なようなものである。

そんな金があれば、
育英会の資金にするとか、
医師国家試験を誰でも受けられるように解放する、
運動資金にしたほうがいい。

医学部卒業生で、
何べん受けても落ちるような見込みのないのより、
受験資格の枠を取っ払って、
学閥もなくしたほうがいい。

在野の有能な人間を拾いあげるほうが、
ずっと人のため、世のためだ。






          


(次回へ)

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