・大阪弁の罵詈讒謗、悪口雑言、あくたれ口、
それらはすべて「ド」を接頭語に持ってくれば手っ取り早い。
ドアホ、ド畜生、ドタフク、ドタマ・・・
バリザンボウの言葉に上品なものがあるはずなく、
これらは下等野卑なる言葉であって、
教養人が軽々に口にすべきものではない。
しかし、重々の場合にはふんだんにまき散らすがよかろう。
巨人・阪神戦を見て、阪神ファンの大学教授、
阪神が例によって例のごとく、後半めためたと崩れ、
(阪神ファンは決まって胃を悪くする)教授は思わず、
「ド阪神め!」と口走り、
この場合なかなかよきものであった。
また、美しくあえかなホステス嬢、
可憐に「またいらして!」と客を送り出し、
ドアを閉めるが早いか「何さ、あのドタヌキ!」
などとつぶやくのも興趣つきぬ奥ゆかしい風情。
・接頭語「ド」
これに対し、接尾語には、
「くさる」「さらす」「けつかる」「こます」というのがある。
すべて動詞の連用形下につけて活用する。
「やがる」は江戸っ子も使うであろうが、
「さらす」は一段と語意が強い。
「何さらすねん」は「何をしやがる」よりぐっと迫力がある。
「けつかる」「こます」は上に「・・・して」がつく。
「何ぬかしてけつかる」
「こます」は自分のことをいう時だから、
「言うてこましたった」というように使う。
大阪弁の卑語、悪口語は古い歴史と由緒を誇り、
みな伝統を受け継いでいる。
歌舞伎にも「さらす」は出てくる。
「けつかる」も古い。
これは発音上「けっかる」とつまるのは今風で、
「けつかる」と発音するのは古い時代のもの。
さて、ケンカが口だけで終わらなくなり、
暴力が用いられると、更にいろんな表現に分かれる。
なぐる、叩く、こづく、の他に、どつく、どやす、しばく、はつる、
などがある。
ぶつ、という言葉は大阪弁ではなく、これは「叩く」である。
私は子供の頃、「キンダーブック」や講談社の絵本、
アンデルセン童話集など買ってもらい、本に親しみ、
都会っ子でいるつもりなのに、
祖母らと一緒に見た浄瑠璃「傾城阿波鳴門」の、
どんどろ大師の場が印象的であった。
同じような年ごろの子供が出てくるからであろう。
巡礼おつるが、
「悲しいことは一人旅じゃで、どこの宿でも泊めてはくれず、
野に寝たり、人の軒下に寝て叩かれたり・・・」
の下りまでくると涙が湧くのであった。
昔の大人は子供に対して冷酷で邪険であった。
私には庇護してくれる家族があったが、
身よりのない、さすらいの子供を「叩く」無惨な大人は想像出来た。
「どつく」も古い言葉で、大阪弁のケンカでは、
「どつき廻したろか」などと言う。
「どついたろか」を強めた言葉で、
別にどついて一回転させることではない。
「どつく」は「胴突く」か?
「どやす」も古い。
十返舎一九の「膝栗毛」にも、
「脳天どやいてこませや」などとある。
「どやす」も「どつく」も、なぐる、ぶつの意だが、
「どつく」はなぐる専門、「どやす」は雷を落とす、
油をしぼられるという意味もある。
「しばく」はなぐるともわずかに違い、
「ピシッ」「パシッ」というような鋭い殴打である。
ムチやヒモなどで打ち据えたりすると「しばかれた」という。
「はつる」これはもとは皮をはぐることから来たらしく、
上前をはねる、口銭を取るという意味。
「いわす」というのもある。
「あいつ、ちょっといわしたろか」というのは、
「やっつけてやろうか」という意味。
「いわされた」と言えば「えらい目にあった」になる。
「タコツル」タコを吊られるというのは、
叱られるの隠語であるが、なぜそう言うのか不明。
叱られた者が茹でダコのように赤くなるからだとも。
怒罵の言葉は男性専用は無くなりつつあるところに、
今日的意義がある。