「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

16、ウダウダ

2022年01月13日 09時03分05秒 | 田辺聖子・エッセー集










・これも大阪人がよく使うが、標準語に言い換えにくい。
必ず下に「言う」をつけて、「ウダウダ言うとる」
「ウダウダ言いなはんな」などと使う。

ゴテゴテ、くどくど、ぐずぐず、ぶつくさ、
というような語感であるが、みな少しずつ違う気がされる。

もともとこの語は「うだうだしい」から来た。
「うだうだしい」は、愚かな、間の抜けた、というような意味。

「ウダウダ言いなはんな」は、
「ええかげんにおきなはれ」という、言外の叱責や侮蔑がある。

「ウダウダ」は馬耳東風と聞き逃される。

同じような雰囲気に「ゴテる」「ゴネる」がある。
「ゴテる」は「ウダウダ言う」よりも扱いが面倒になる。

これが私であると、原稿の催促の仕方が気に入らぬと、
ゴテはじめ、「オタクの雑誌にはもう書きません!」などと言うと、
「ゴテセイ」と呼ばれ「またゴテたか、あのおばはん」
とひんしゅくを買う。

しかし、現実は私にはそれほどの実力はない。
それらしいことをモゴモゴ言うだけで、
「ウダウダ言いなはんな!」と出版社から一喝されると、
すくみ上るのがオチである。

「ウダウダ」はかなり侮辱的に迎えられているのである。
てんからバカにされているのである。

男性たちは、
「婦人週間ちゅうのは何やねん。あれ。
オナゴが集まってウダウダ言うとるだけのこっちゃないか」
などと言う。

酒飲みがクダ巻いて、同じことを繰り返ししゃべっている。
人々は冷笑し、
「何ウダウダ言うとんねん。誰ぞ、水ぶっかけたれ、この酔っ払いに」
などと使う。

「ゴテる」は対する人に警戒心と緊張を要求する状態だが、
「ウダウダ」は物の数にも入れてもらえぬ状態。


・「すっくり」
これは「すっかり」に似ているが、意味は強く、
洗いざらい、根こそぎ、そんな意味がある。

一部始終という意味も含まれる。
かといって「すっくり忘れてた」とは使わない。

そういう場合は「ころっと忘れた」という。
「ころっと」というのも根こそぎという意味があるが、
「ころっと盗まれた」とは言わない。

その場合は「ごそっと盗まれた」と、
使い分けはきっちりしている。

ウダウダ言う人間を一喝してしまえばよいが、
商売相手であると、いちがいにかませないから困る。

そういう時「難儀やなあ」がある。
困ったこっちゃ、かなわんなあ、面倒やなあ、
それも切羽詰まったものではなく、
わが難儀をみずからおかしがっている。

「難儀やなあ」は内々での嘆声で、これが相手に向かうと、
「そんな、殺生な・・・」になる。

殺生は本来の語義は、生き物を殺すという仏教語である。
そこから転じて、残酷な、かわいそうな、むごい、ひどい、
という意になり、転じて大阪弁では、
理不尽な、あまりといえばあんまりな、という意味で使われる。

「そんな殺生な!」は半ば詠嘆である。

値段を値切り倒す。ソロバン弾いて、
「ここまでまけとけ。ほんなら買うわ」と言うと、売り手は、
「そんな殺生な、これやったら銭あらしまへんが。
水など飲めるように色つけとくなはれ」と言って、
またソロバンの珠を上下する。

そういう時に使われると「そんな殺生な」がイキイキする。


・殺生やで、と言うのが、
圧迫者に対する被圧迫者の抗議であるとすれば、
第三者に向かっての客観的報告は「往生しました」になる。

これは東京弁の「弱っちゃう」に当たる。
どうにもならぬ困惑の意から、閉口する、困るという意。

「ウダウダ言われて往生しました」などと使う。

もとより「往生」は仏教用語で、
現世を去って極楽浄土に往くことである。
それからして、死ぬことに用いる。

「〇〇銀行にソッポ向かれて往生した」
となると、これ即ち、倒産。

女を口説いて「ええかげん往生しいな」などと使う。
ここでは覚悟を決めるという意。

往生する、にはあきらめるというニュアンスもあるが、
真実、うんざりしたという時には、
「うとてもうた」と言う。

「うとた」は「歌うた」である。
悲鳴をあげる、音をあげるということで、
往生すると同じく倒産した時にも使うが、
もっと切実で緊迫感がある。






          

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