・賀茂祭りを見ると、
源氏は遠い昔、
正妻・葵の上と六條御息所が、
争った事件を思いだす。
その話を紫の上に話す。
「時の勢いを傘にきて、
驕慢な振る舞いをするのは、
心ないやり方だ。
葵の上は、
あの時の恨みを負うて、
死んでしまった。
あの時、おごった人の子供は、
臣下で少しずつ、
出世していくだけだが、
いじめられた方の女人のおん娘は、
いまは中宮という尊いみ位にのぼり、
万人に仰がれていらっしゃる」
「ほんとうにわからないものです」
「人間の将来というのは、
どんなことになるかわからない。
だから生きている間だけでも、
思うままの暮らしをしたいものだが、
もし、私が亡くなったら、
あなたはどうなるだろうかと思って。
あまりにおごった生活をすると、
私亡きあと、
あなたがひどく零落しないかと、
恐れたりするのだよ」
源氏にとって、
やはり一番の気がかりは、
最愛の紫の上のことである。
近衛府から出る、
賀茂祭の勅使は、
頭の中将(柏木)であった。
上達部たちは内大臣邸の、
勅使が出発するところに集り、
それから源氏の桟敷に来た。
藤典侍(とうのないしのすけ)も、
勅使であった。
この藤典侍を、
ご記憶であろうか?
源氏のお側去らずの供・惟光の娘で、
かの、
五節の君になった美少女である。
夕霧が雲井雁との恋を裂かれ、
悶々としていた時に、
ふとかいまみて、
心乱した娘であった。
夕霧は真面目な性格だけに、
いったん見染めた彼女を、
今も忘れず、
ほのかに思いをかけている。
夕霧は彼女が出立する所へ、
使いをやった。
藤典侍は、
夕霧がこのほど、
やんごとない姫君と、
めでたく結婚して、
身が定まったことを聞いて、
辛く思っている。
夕霧への思慕を、
人知れずはぐくんできた彼女は、
恋人の結婚に平静でいられなかった。
といって、
どうしようもないことだった。
藤典侍が、
正式に夕霧夫人になるには、
身分が違っていた・・・
それゆえ、
夕霧の手紙は、
なつかしくも憎かった。
「賀茂祭に、
頭にかざす草は何といったっけ。
いつかは、と切なくて」
とある。
祭りの日のかざしは葵である。
夕霧は「逢う日」に、
かけているのだった。
さすがに藤典侍は嬉しくて、
車に乗る間際であったが、
返事をことづける。
「かざしをお忘れになるなんて、
あなたのような物知りのお方が・・・
かざしの草より、
もっと美しい花をお身近く、
見なれていらっしゃるのですもの、
無理もありません」
夕霧はその手紙を見て、
恋心をかきたてられた。
雲井雁と結婚するまでは、
藤典侍との仲に、
深入りする気になれなかったのに、
結婚してみると、
彼女も得たいという情熱が、
実直男の夕霧の心を捉えた。
いよいよ、明石の姫君の、
入内の日が近づいた。
入内には母君が、
付き添って行かねばいけないが、
紫の上は始終の付き添いは出来ない。
源氏はこの際、
実母の明石の上を後見役にすれば、
と考えていた。
仲のよい夫婦は、
おのずと考えることも似るのか、
紫の上も同じことを源氏に言った。
「丁度いい折です。
あちらの実のお母さまに、
姫君のお世話をお願いしたら、
どうでしょう。
離れ離れになって、
辛がっていらっしゃるに違いないし、
姫君もだんだん、
ほんとうのお母さまでないと、
言えないことが出てくる年頃だと、
思います」
自分の存在が、
明石の上母子にとって、
重く感じられるのも辛いし、
さかしい紫の上は、
そういうことは源氏にはいわない。
「姫君もまだ子供っぽくいらして、
心配ですし、
お側の女房も若くて気がつきません。
乳母といっても、
心づかいは限度があります。
やはり実のお母さまのご後見なら、
安心してお任せしておけます」
「よく、言ってくれた。
実は私もそう思っていたのだよ」
源氏は喜んで、
明石の上に早速話した。
明石の上は、
平生の願いがかなったように、
喜んだが、
祖母の尼君は、
「入内なされたら、
もうお目にかかる折もあるまいねえ」
と悲しまれた。
(次回へ)