・夕霧は夢のような気がする。
(よくもいままで、
堪えて待ち続けたことだ)
とわれながら、
自分の忍耐心や辛抱強さを思った。
目の前の雲井雁は、
夕霧がこうもあろうかと、
思っていた以上に美しく、
匂やかな乙女になっていた。
別れたときの、
童女のおもかげを残しながら、
さすがに春の悩ましい美しさに、
なっていた。
「やっと会えたね。
何年待っただろう・・・
世間の人が面白がって、
私たちの噂をするくらい、
風変わりな恋だった。
私がどんなに苦しかったか、
わかりますか?」
雲井雁は、
今夜は夕霧が来ることを、
知らされて、女房達も、
その用意もぬかりなく、
鄭重にととのえてあった。
だから、
不意打ちの出現ではないのだが、
雲井雁はまだ心の用意が、
できていなかった。
あまりに大きな嬉しさのため、
雲井雁の心は、
まだ羞恥に閉ざされていた。
そんな雲井雁を、
夕霧は抱きしめた。
「ああ、こうしていると、
何年か前、
無理やり引き離された時のことを、
思いだす・・・」
夕霧がいうと、雲井雁も、
長いまつげをあげて夕霧を見た。
「乳母に見つけられたわね、
あのとき」
「そうだ。
そして乳母が聞こえよがしに言ったっけ。
花婿が六位の下っ端役人とは、
人聞きも悪い、と・・・」
「でも、わたくしは、
あのとき誓ってよ。
あなたはわたくしにとっては、
大臣や大将よりすてきな人だって」
二人で話しているうちに、
昔の強い思慕が、
しだいに現実の今に重なり、
二人は微笑み合うのだった。
夜が明けた。
花嫁の初床は、
重く暗く帳をたれこめて、
ひそとの音もしない。
女房たちは起こすことも出来ず、
困っていた。
雲井雁の父、内大臣は、
そう聞いて、
「したり顔に朝寝をしているな」
と嫌味をいった。
内大臣は、
こんな事態になってもなお、
自分の方が折れたことで、
一抹の屈辱感をぬぐい去ることが、
出来ないのである。
しかし、夕霧は、
すっかり明けきらぬうちに帰った。
後朝(きぬぎぬ)の文は、
以前と同じ人目を忍ぶ形で来たが、
晴れて夫婦となった今は、
却って恥ずかしくて、
雲井雁は返事が出来ない。
今まで人目を忍んで来ていた、
文の使いは、
今日は晴れて祝儀を頂き、
兄の頭の中将・柏木が、
心こめてもてなしたので、
やっと人並みな心地がした。
源氏は、
夕霧の首尾が上々だったことを、
人々から聞いて、
「おお、それはめでたかった」
と、親心に嬉しい思いをした。
そこへ夕霧が来た。
「よかったね。
長い間の苦労が報われた、
というものだ。
よくやった」
源氏は息子をほめた。
「聡明な男でも、
恋愛問題ではつまづく者が多いが、
見苦しく未練を見せたり、
焦ったりせず、
落ち着いて待ったのは、
なみの人間には出来ない。
その点はみとめるよ」
源氏はやさしくいって、
「内大臣が、
あんなに強硬になっていたのに、
自分から折れたことは、
世間の噂になるだろうな。
かといって、
お前が得意顔になってはいけない。
ましていい気になって、
浮気心など起こしてはいけないよ。
あの内大臣は、
寛大なように見えるが、
本当は男らしくないところがあって、
つきあいにくい方なのだ。
気をつけなさい」
と言い聞かせた。
源氏は、
似合いの夫婦だと、
夕霧のことを思った。
二人そろっていると、
親子というよりも、
源氏が若々しいので兄弟のよう。
今日は四月八日の、
灌仏会であった。
六條院も、
御所と同じような作法があって、
たくさんの公達が参集している。
しかし、夕霧一人、
そわそわして落ち着かない。
身だしなみをととのえ、
新妻のもとへ出かけるのである。
夕霧は、
長年の恋がみのったので、
新妻の雲井雁との仲は、
水も洩らさぬむつまじさである。
内大臣は、
親しくなればなるほど、
夕霧の立派さがわかって、
婿がかわいくなり、
鄭重にかしずき、
もてなすのであった。
自分から折れたというのは、
今でも口惜しいが、
夕霧が長の年月、
他の女性に目もくれず、
雲井雁を思い続けてくれた、
誠実さには文句のつけようがなかった。
内大臣はその点で、
夕霧に一歩も二歩もゆずって、
感謝せずにいられなかった。
雲井雁の幸福はいうまでもない。
むしろ、
長女の女御のおん有様より、
花やかに楽し気な新婚生活なので、
継母の北の方や女房たちは、
嫉妬するくらいだった。
だが、
夕霧という夫を得た雲井雁に、
いまはなんのひけめもなかった。
雲井雁の実母は、
今は按察使の北の方になっているが、
その実母も、
別れた夫の家においてきた娘が、
幸福な結婚をしたことを聞いて、
たいそう喜んでいた。
いろいろなことがあったが、
六條院の明石の姫君の入内は、
四月二十日過ぎとなった。
賀茂祭の日、
紫の上は朝早く詣り、
帰りに行列を見るため、
桟敷についた。
六條院の女君たち、
女房がそれぞれ車を連ね、
桟敷の前を占めた様子は、
壮観だった。
「あれこそ、
源氏の大臣の北の方よ」
と遠くからでもわかる、
派手やかな威勢である。
(次回へ)