<山里は 冬ぞさびしさ まさりける
人目も草も かれぬと思へば>
(山里はいつもさびしい・・・
とりわけ 冬のかれすがれたありさまは身に沁む
草は枯れ 人は離れる
ゆききする人の姿も絶えはてて・・・)
・この歌は、「枯れる」に「離(か)れる」をかねた、
着想の面白さで勝負する。
作者の源宗千(むねゆき)は三十六歌仙の一人。
三十六歌仙というのは、
一条天皇(在位986~1012)のころ、
当時の文化人ナンバーワンといわれた、
藤原公任が選定した三十六人の歌人である。
宗千は光孝天皇の皇子・是忠親王の子で、
臣籍に下って源姓となった。
地方官を経て、右京大夫となったが、
これは、後には有名無実の閑職となった。
宗千は官位がはかばかしく進まないので、
宇多天皇にそれとなく昇進をお願いする歌などを、
奉っている。
<沖つ風 ふけゐの浦に 立つ浪の
なごりにさへや われはしづまむ>
(吹井の浦に沖から風が吹いて波が立ち、
その波はざんぶりと岸辺を洗いますが、
私はなかなか岸辺へさえ打ちあげられず、
沈んだままでございます。
いつまでもこう、
浮き上がるときはないのでございましょうか)
官位が進まなくて腐ってはいるが、
その分、人生をしっかり楽しんだようである。
いろんな女に恋歌を贈ったり贈られたり、
している。
多彩な恋愛遍歴である。
子供もバラエティに富んでいて、
歌よみの娘がいるかと思うと、
バクチに身を持ち崩した息子もいる。
バクチ狂いで都を捨てた息子は、
他国から親友にこんな歌をよこした。
<しをりして ゆく旅なれど かりそめの
命知らねば 帰りしもせじ>
(叱られ責められることを「しをる」という。
枝を折って目印にするのも「しをり」という。
双方の意味をかけ、
もう都へ帰れないかもわかりません)
哀切な思いをのべるあたり、
父親の「山里は」の歌のおもむきに似ている。
王朝の昔にも、バクチ狂いはいたのだ。
平凡な歌だが、
作者の人生を思ってよむと面白い。
(次回へ)