・玉蔓がご機嫌を損じたのを見て、
源氏はやや真面目になり、
「ほんとを言いますと、
小説、物語というのは、
神代からこの世にあることを、
書き残したものです。
正史といわれる日本紀などは、
ほんの社会の一部分に過ぎないのだ。
小説の中にこそ、
人間の真実が書き残されている。
小説というものは、
誰かの身の上をそのまま書くのではない。
うそもまこともある。
いいことも悪いことも書く。
ただ、この世に生きて、
人生、社会を見、
見ても見飽きず、
聞いて聞き逃しにできぬ、
心一つに包みかねる感動を、
のちの世まで伝えたい、
と書き残したのが小説のはじまりです。
そこでは善も悪も誇張してある。
しかし、それらはみなこの世にあることです。
外国の小説でもみな同じです。
小説をまるでうそだ、作り物だ、
ということはできない」
「ええ・・・」
玉蔓は源氏を見つめてうなずく。
真面目に説いてくれる源氏の言葉を、
彼女は何一つききもらすまいと、
目を見張って聞いていた。
源氏は玉蔓に近寄ってささやく。
玉蔓は顔をそむけて、
「小説にしなくても、
こんな珍しい仲、
噂で広まってしまいます」
「おっしゃる通り。
親が子に恋するなんて。
しかし親不孝の罪は仏もお許しになりません」
玉蔓はやっと言った。
「そんな親心は仏さまも驚かれましょう」
源氏はひるんで、
それ以上の手出しは出来ない・・・
紫の上も、
明石の小さな姫君にねだられるまま、
小説類を集めていた。
「小さな姫に、
あまり恋愛小説などは、
読ませない方がいい。
恋のかけひきや手管など、
おぼえさせることはない」
源氏の言葉を玉蔓が聞いたら、
どう思うであろう。
自分に言うのとは違うと、
恨むかもしれない。
源氏は玉蔓を、
理性も情趣も兼ね備えた、
男と太刀打ちできる女にしたい、
と考えている。
しかし、明石の小姫は、
それこそ世間の風にも当てず、
雲の上人として、キズ無き珠として、
育てたいと願っていた。
紫の上も、
いまは姫君の教育に、
心くだく年ごろになっていた。
昔の小説には、
継母の意地わるさを書いたものが多いので、
源氏は注意してそれらを、
姫君の目にふれないようにしていた。
源氏は姫君を、
悪意も邪念も知らぬ、
天女のようにけだかい女人に育てたかった。
源氏は息子の夕霧の中将を、
紫の上に近づけていない。
自分の犯したあやまちを、
息子が繰り返すのを懸念している。
しかし、小さい姫君とは、
仲良くさせていた。
たった二人の兄妹だし、
自分亡きあと、
夕霧の庇護に任せなければならないので、
情愛を深くしておいてやらねばならぬ、
と考えて小さい姫君の御簾の内へ、
夕霧が入ることを許していた。
けれども紫の上の女房たちの詰所へは、
入るのを許さなかった。
夕霧は実直な性格の青年なので、
源氏は将来も妹のことを任せていけるだろう、
と安心していた。
姫君も夕霧になついていた。
ままごとをしましょうと、
姫君にまつわられて、
夕霧は相手をしていたが、
思いはいつとはなく、
引き裂かれた恋人、雲井雁に移る。
(おばあさまのもとで、
あの人とこんなことをして遊んだっけ・・・)
思えば幼なじみであった、
雲井雁への失恋の痛手は、
まだ癒えていない。
(次回へ)