むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

22、蛍 ③

2023年12月19日 08時28分49秒 | 「百人一首」田辺聖子訳










・玉蔓がご機嫌を損じたのを見て、
源氏はやや真面目になり、

「ほんとを言いますと、
小説、物語というのは、
神代からこの世にあることを、
書き残したものです。
正史といわれる日本紀などは、
ほんの社会の一部分に過ぎないのだ。
小説の中にこそ、
人間の真実が書き残されている。
小説というものは、
誰かの身の上をそのまま書くのではない。
うそもまこともある。
いいことも悪いことも書く。
ただ、この世に生きて、
人生、社会を見、
見ても見飽きず、
聞いて聞き逃しにできぬ、
心一つに包みかねる感動を、
のちの世まで伝えたい、
と書き残したのが小説のはじまりです。
そこでは善も悪も誇張してある。
しかし、それらはみなこの世にあることです。
外国の小説でもみな同じです。
小説をまるでうそだ、作り物だ、
ということはできない」

「ええ・・・」

玉蔓は源氏を見つめてうなずく。

真面目に説いてくれる源氏の言葉を、
彼女は何一つききもらすまいと、
目を見張って聞いていた。

源氏は玉蔓に近寄ってささやく。
玉蔓は顔をそむけて、

「小説にしなくても、
こんな珍しい仲、
噂で広まってしまいます」

「おっしゃる通り。
親が子に恋するなんて。
しかし親不孝の罪は仏もお許しになりません」

玉蔓はやっと言った。

「そんな親心は仏さまも驚かれましょう」

源氏はひるんで、
それ以上の手出しは出来ない・・・

紫の上も、
明石の小さな姫君にねだられるまま、
小説類を集めていた。

「小さな姫に、
あまり恋愛小説などは、
読ませない方がいい。
恋のかけひきや手管など、
おぼえさせることはない」

源氏の言葉を玉蔓が聞いたら、
どう思うであろう。

自分に言うのとは違うと、
恨むかもしれない。

源氏は玉蔓を、
理性も情趣も兼ね備えた、
男と太刀打ちできる女にしたい、
と考えている。

しかし、明石の小姫は、
それこそ世間の風にも当てず、
雲の上人として、キズ無き珠として、
育てたいと願っていた。

紫の上も、
いまは姫君の教育に、
心くだく年ごろになっていた。

昔の小説には、
継母の意地わるさを書いたものが多いので、
源氏は注意してそれらを、
姫君の目にふれないようにしていた。

源氏は姫君を、
悪意も邪念も知らぬ、
天女のようにけだかい女人に育てたかった。

源氏は息子の夕霧の中将を、
紫の上に近づけていない。

自分の犯したあやまちを、
息子が繰り返すのを懸念している。

しかし、小さい姫君とは、
仲良くさせていた。

たった二人の兄妹だし、
自分亡きあと、
夕霧の庇護に任せなければならないので、
情愛を深くしておいてやらねばならぬ、
と考えて小さい姫君の御簾の内へ、
夕霧が入ることを許していた。

けれども紫の上の女房たちの詰所へは、
入るのを許さなかった。

夕霧は実直な性格の青年なので、
源氏は将来も妹のことを任せていけるだろう、
と安心していた。

姫君も夕霧になついていた。

ままごとをしましょうと、
姫君にまつわられて、
夕霧は相手をしていたが、
思いはいつとはなく、
引き裂かれた恋人、雲井雁に移る。

(おばあさまのもとで、
あの人とこんなことをして遊んだっけ・・・)

思えば幼なじみであった、
雲井雁への失恋の痛手は、
まだ癒えていない。






          


(次回へ)

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