<心あてに 折らばや折らむ はつ霜の
置きまどはせる 白菊の花>
(初霜でそこらじゅう 真っ白になってしまった
白菊の花がそれにまぎれてどこかわからないじゃないか
あて推量で このへんかなあと折るならば
折れるかもしれないが
何しろ 一面 白い中の白菊の花だからなあ)
・こういう歌はむつかしく考えずに、
「ははは・・・」とその機才頓智を面白がればいいのであるが、
何しろ歌の神さまの定家がえらんだ名歌だと、
中世以来みんな信じ込んでいたので、
いろいろ勿体つけて、
この歌もうやうやしくたてまつってきたのであった。
この歌は『古今集』巻五・秋歌下に、
「白菊の花をよめる」として載せられているが、
春の歌で同じく躬恒の、
<月夜には それとも見えず 梅の花
香をたづねてぞ 知るべかりける>
という同工の歌があり、
これはしらじらとした月光のもと、
同じく白い梅の花がよく見えない、
梅のたかい香りをめあてに、
ありかを知ることができるというような趣向である。
この凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)という人は、
『古今集』撰者の一人という名誉に輝く歌人だが、
身分は低く、生没年もその父祖の名前もわからない。
しかし即興歌人というのか、
あるとき天皇から、
月の異名を「弓張」というのはいかなるゆえか、
というご下問をうけてすぐさま歌でお答えした。
<照る月を 弓張としも いふことは
山の端さして いればなりけり>
射ると入るをかけたシャレである。
天皇はおおいに賞でられて、
ほうびに白絹の衣をたまわった。
慣例としてお祝儀をいただくときは、
肩にかけることになっている。
躬恒はそれを肩にかけ、
ふたたび即興で、
<白雲の このかたにしも おりゐるは
あまつ風こそ 吹きてきぬらし>
と詠んだと『大鏡』にある。
吐く息、吸う息が歌になるというような人であったらしい。
それも歌のていをなしているというだけではなく、
奇警なアイディアとともに、
歌のすがたに一種の風格がある。
(次回へ)