「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

17、美女の引出物  ②

2021年08月11日 08時55分57秒 | 「今昔物語」田辺聖子訳










・その中で、夫一人老いて、皺の顔を酔い泣きにゆがめ、
巾着をすぼめたような唇を酒のしずくで濡らしながら、

「光栄じゃ、老いの身で光栄でござる」

と繰り返してはうれし泣きしているの
その夫にやさしく手をのべて、

「伯父上、いつまでもお元気でいてくださいよ」

となぐさめていらっしゃるのが、時平の大臣。
まあ、なんて美しい殿方。

桜色に照り映えたお顔には、凛とした気魄と、
強い意志がみなぎっていて、さすが並々の殿方とは、
ひと味違う威厳がおありになるの。

それに、すすめられてお歌いになる歌声の、のびやかな若々しさ。
大臣の衣の、薫物(たきもの)の匂いまですてきだったわ。

(こんな殿方もいらっしゃるのに、なんであたしはまあ、選りに選って、
あんなお爺さんを夫に持つ運命を引き当てたのかしら)

と思うとくやしいやら切ないやら・・・


~~~


・そのうち、あたしはあることに気付いて、はっとしたの。

大臣が、あたしのひそかにのぞいている御簾の方を、
意味ありげにじっとご覧になるの。

こちらは灯がないので、
向こうからはお見えにならないと思うけれど、
あたしのきぬずれの音や、薫物の匂いを気配で、
それとおわかりになったみたい・・・

大臣の目付きといったら、それは色っぽいの。
流し目といっていいわ、まるであたしの胸の中の愚痴を、
見抜いていらっしゃるみたいで、あたしは赤くなってしまった・・・

そして、わかったの。
時平の大臣が夫を大切になさるのは礼儀正しいからじゃなく、
あたしがお目当てだったんじゃないか、って。

なんであたしのことをお知りになったのか?
色好みでおしゃべりの平中の情報に違いないわ、
この大臣も、色好みで評判の方だから、

(近ごろ、美人はいないかい?・・・)

などと座談の末に。
あたしの勘は間違っていないと思ったわ。

だって大臣ったら、いよいよあたしのいる御簾に向いて、
意味ありげに目くばせなさるんですもの。


~~~


・そのうち夜はようよう更け、
みな酔っぱらってしまって、お開きとなったの。

夫は逸物の馬を二頭、それに筝の琴など引出物として差し上げた。
すると大臣のいわれるのに、

「いや、こう酔ったまぎれに申し上げるのは失礼なようですが、
伯父上に敬意を表して、かく参上したことを、
まことに嬉しいとお思いならば・・・」

「おお、こんな嬉しい光栄があろうか」

「されば申しましょう。
特別ご賞美なさる引出物を頂戴したい、なみの品物ではなく」

大臣は再び、あたしのいる御簾に流し目をおあてになったの。
夫は酔い半分、うつつ心なく、また半分は大臣の視線に、
羨望を見て取って自慢のあまり、

「特別わしが賞美するのは、わしの妻でござる」

と叫んでしまったの。

「この老いぼれが、こんな若く美しい妻を持っているとは、
大臣もご存じありますまい、いや、大臣すら、
こんな美女をお持ちでなかろうと存ずる。
それ、引出物はこの美女じゃ」

夫は分別ごころを失って今は得意さいっぱいで、
屏風を押したたみ、御簾を押しあけてあたしの袖をとらえ、
明るい席に引き出してしまった。

すかさず大臣は、

「いや、ここへ参上した甲斐がありました。
この引出物、たしかに嬉しく頂戴いたしますぞ」

あたしの側にぴったりと寄り添い、
手をとられて、

「ああ酔った、苦しい、車を寄せてくれ、ではおいとまする」

車が寝殿の階に寄せられると、夫はみずから車の簾を上げたわ。
この時もまだ夫はどういうことになったか、
酔っぱらっていてわからなかったみたい。

大臣はあたしを抱いて車に乗せ、ご自身も乗られた。
その時、夫はぎょっとして酔いがさめたらしいの。

「おお、婆さんもゆくのか、わ、わしを忘れてくれるなよ」

大臣の手前、あたしのことを「婆さん」と呼んだんだけれど、
よろよろと崩れるのを家来たちがたすけ起こして、
それっきり、車は門を出た。

あたしは大臣の腕の中で、

「かねてより恋焦がれていたのですよ」

と大臣の口説を聞いて夢見心地だったわ。


~~~


・人づてに聞いたところでは、
夫はじばらく悲しみ呆けていたようだけれど、

「あの方がかえって妻には幸せだろう」

と人にもらしたそうなの。

今、あたしはとても幸せ。
夫となった大臣は、あたしを愛してくれている。

昔の夫は死んでしまった。
でも、このごろふと考えるの。

あの時、夫は大臣の意図を知ったとき、
すぐにあたしの幸せを考えてくれたのかもしれないって。

「わしを忘れてくれるな」というのは、
「幸せにおなりよ」というはなむけの言葉じゃなかったかって。

美しい北の方は庭に視線をさまよわせる。
いつか秋の日は暮れ、夕焼けの京の空に鴉が数羽渡ってゆく。


巻二十二(八)






          


(了)

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