「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

「わたしの震災記」 ④

2023年01月15日 14時21分35秒 | 「ナンギやけれど」   田辺聖子作










・書斎は足を踏み入れられないので、
取ってかえして寝室から廊下へ出る。

逃げ道を確保しなければと殊勝なことを考えたのであるが、
廊下の書類棚から何十冊のスクラップブックがなだれ落ちて、
腰まで埋まりそう、左手の本棚、
重い本を積んだまま、これも滑走していた。

応接間の飾り棚二つ、
これは観音開きなのでみごとにどちらも開いて、
内部のガラス製品や器が滑り落ち、
その前の床はガラスの山だった。

木っ端みじん、というけれど、
薄いガラス器だから、あたり一面キラキラ光るばかり。

好きで蒐めたアンティークのガラス製品だが、
このときも惜しいとか悔しいとかいう執着心や煩悩は失せている。

われながら平常心ではないと思ったが、
震災後十カ月たった今でも、
それは変化していないところをみると、
よっぽど(ずっど~~ん)に毒気を抜かれ、
(げぼ~~っ)に、私の裡の何かのからくりを、
破壊されてしまったのであろうか。 

それよりリビングの小鳥二羽、
白い文鳥の番(つがい)がショック死しないかと心配だった。

ウチにいるイキモノといえば夫と文鳥だけである。
文鳥たちは小さいわりに案外したたかで、
すぐ巣箱から出てきてさえずり始めた。

このリビングにも戸棚が二つ、
ワイングラスやティカップのコレクションなどがある。

一つは人形やぬいぐるみだが、
こちらは戸は開いたがモノは落ちていない。

われもののほうは、
棚を滑って落ちたらしく、見事に破片の山。

奥のキッチンも同様、
このぶんでは使える食器はないかもしれない。

だいぶんショックが薄れてきたのか、
(お~お~、やってくれるじゃん)という感じだった。

それより水の心配が先にきた。

急いでキッチンの割れ物を踏み越え、
水を出すと、まだこの時は細いながら水は出た。

ステンレスの洗い桶、ボウルに至るまで水を張った。

あとで生活用水と防火のため、
浴槽に水を張ろうとしたら、
もうとぎれとぎれで、
そのうち赤水が出だしたので止めた。

玄関のドアは開いた。
まず逃げ道は大丈夫である。

私はロウソクをふりかざし、外へ出てみた。
冬の朝の六時はまだ暗い。

ご町内をうかがうと、
あたりはし~んとして、
玄関ドアはどこもかたく閉じられている。

庶民の私としては、
お隣さんもお向かいさんも、
みな飛び出して来られるはず、
と思いこんでいたのだ。

あるいは足袋はだし、
パジャマで寒さに歯の根も合わずに震えながら、

<怖かったですねえ・・・>

<本当に。おたく、大丈夫でしたか>

などと昂奮さめやらず言い合う、
という図を想像していたのである。

こんな衝撃は六十年生きてはじめて、
未知の、未曽有の体験に関する驚きと恐怖を、
共有したいと思ったのだが、
ついに人の姿を見かけることはなかった。

誰一人外を覗く人もなく、
通行人もいない。

まだ町は深夜である。

極端にいうと、、
町内の家々はどこも倒壊、または損傷してはいないが、
住民は家の中でショック死して、
死に絶えた町のように思われた。

ただ車がヘッドライトを煌々と点じて、
狂ったように西から東へ走ってきた。

どこへ行くのか、別の車が反対に走ってゆく。

生きてる人がいた!という感じだった。
ほっとしてあったかい気持ちになった。

車の走り方もただごとではなく、
動転しているようであった。

それでこそ、人間の住む町だ。

あんなに大きな地震があったのに、
誰一人出て来ないなんて、
どうかしちゃっている。

・・・そういうことを思うのは、
私が空襲を経験した古い人間だからであろう。

空襲のときは敵機が去って、
警報解除になるが早いか、
人々は防空壕から飛び出した。

家が無事かどうか、
近隣の顔なじみの数はそろっているか、
安否を気遣い、たしかめあい、声をかけあったものだ。

戦争中は生と死が雑居していたから、
無事を確かめあうという濃密な時間を共有しなければ、
日常生活に戻れなかった。

そういう肌と肌のふれあうような、
生死を共有する気分が、
今は不意のことでもあり、生まれにくい。

突然、非日常の世界に突き落とされて、
呆然としているのかもしれない。

現代の人間関係は家族間だけで完結して、
地域まで広がらないのかしらん。

もっともそれも家の倒壊などということが、
なかったからであろう。

といって、私の住むあたり、
そんなに大きいお邸町というのでもなく、
回覧板を勝手口から届けたり、
宅配荷物も預かったり預かってもらったりして、
面倒も見合い、顔が会えば挨拶もするのだけれど。

ともかく人っ子一人出てこない町、
というのもこれはこれで不気味だった。

情報の交換、励まし合いは必要ないのかしら、
これでは人間の住む町らしくないと淋しい気がした。

それでも玄関のドアが開く、
というのだけは確かめたのでちょっと安心して、
あいかわらずロウソクをたよりに洗面した。

もちろん湯にならないが、
洗面所の水はちょろちょろ出てくれるだけでも心強い。






          


(次回へ)





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