むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

30、若菜(上) ⑤

2024年01月26日 08時40分58秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・その年も、
何やかやありながら暮れになった。

朱雀院(源氏の異腹の兄)は、
ご病気がはかばかしくない。

お気がせかれて、
女三の宮の御裳着の準備を、
すすめられていた。

その御用意の立派なことは、
近来まれなこと。

御腰結いの役は、
太政大臣におたのみになった。

左右大臣、
ほかの上達部、
親王がた、
あげてこの儀式につどうた。

それでいかめしくも、
美々しき儀式になった。

朱雀院が仏門に入られたら、
院が主催なさる催しとしては、
これが最後になるであろうと、
人々は暗黙のうちに、
おいたわしく思い、
心を寄せた。

帝や、
(冷泉帝・・源氏と藤壺中宮を両親とする)
東宮(朱雀院の御子)からも、
さまざまの贈り物があった。

六條院(源氏)からも、
贈り物はあった。

中宮(亡き六條御息所の姫君)からは、
姫宮へのご装束と櫛箱の、
贈り物がある。

その中に、
昔、入内のおり、
朱雀院から贈られた、
御櫛上げの調度を、
手を加えて奉られた。

この秋好中宮がまだ、
姫宮でいられたとき、
(伊勢の斎宮を退かれてのち)
朱雀院が思いをかけられたのを、
源氏の力で冷泉帝へ入内、
ということになってしまい、
朱雀院は恋を失われた。

姫宮入内の日、
院は贈り物の櫛筥を奉られた。

朱雀院は昔を思い出されて、
あわれに思われること限りない。

この秋好中宮への、
失われた恋、
あのこと、このこと・・・
朱雀院の半生は、
なぜか心残りと、
秘めた失意にみちておいたわしい。

せめて最愛の姫宮だけは、
幸福な輝かしい人生であってほしい。

今は過去のわが失恋よりも、
生い先長い姫宮の将来に、
望みをつながれる院であった。

朱雀院はご病気で、
お苦しいのを堪え、
御裳着の式を終えられた。

三日後、
御剃髪になった。

まわりの人々の悲しみは、
いうまでもない。

中でもことに、
朧月夜の尚侍の君は、
院にぴたりと寄り添うて、

「ほんとうに、
ご出家なさるのですか、
わたくしを捨てて、
この世を逃れておしまいに、
なるのでございますか」

と声を限りに泣き伏してしまう。

院はいろいろに、
言いこしらえて慰められるのも、
しみじみした悲しさである。

「子を思いきることは、
出来るが、
こうも思い合った妻との別れは、
堪えがたい。
男と女の仲を断ち切ることは、
親子の別れより断ちがたい」

と院はお心が乱れる。

しかし、
かねて決められたことなので、
病中の苦しさを押さえられて、
出家の儀式をすすめられる。

比叡山の座主をはじめ、
御受戒の阿闍梨が三人いて、
法服をお着せする。

この世を捨てられる儀式の、
さまざまの作法は、
悲しいかぎり。

もはや、生きて彼方の、
彼岸の人になられるわけである。

姫宮がた、
女御更衣、
この御殿に仕える人々みな、
泣き悲しんだ。

帝をはじめ、
あちこちからのお見舞いは多い。

源氏も、
少し院のご気分がよいと聞いて、
早速、お見舞いに出かけた。

院は源氏を喜んで迎えられたが、
院の変わられたお姿を拝見して、
源氏は涙がこぼれる。

「父院(桐壺院)に、
おくれ奉ってから、
私も世の無常を知り、
いつかは出家の志を、
持っておりました・・・」

源氏はいった。

「はからずも、
院のご出家姿を、
先に拝するようになりましょうとは」

もとより院も、
お心弱くなっていられて、
しおれたご様子に見えた。

院は例のことを、
お打ち明けになりたいようで、
ためらわれた。

「女御子を、
あまた置いて出家するのが、
気がかりでならないのです。
中でも寄る辺のない子が、
ことに気がかりで・・・
この子は母もいませんし、
私が出家すると、
どうなることかと・・・」

院のお癖から、
単刀直入に、
言葉に出して、
源氏に頼むとは、
仰せにならない。

源氏はその兄君の優柔さを、
今はお気の毒にも、
いたわしくも思う。

それと共に、
女三の宮への関心が芽生えた源氏は、
この際、そしらぬ風で、
院のお話を逸らせることも、
出来なかった。






          


(次回へ)

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