・その年も、
何やかやありながら暮れになった。
朱雀院(源氏の異腹の兄)は、
ご病気がはかばかしくない。
お気がせかれて、
女三の宮の御裳着の準備を、
すすめられていた。
その御用意の立派なことは、
近来まれなこと。
御腰結いの役は、
太政大臣におたのみになった。
左右大臣、
ほかの上達部、
親王がた、
あげてこの儀式につどうた。
それでいかめしくも、
美々しき儀式になった。
朱雀院が仏門に入られたら、
院が主催なさる催しとしては、
これが最後になるであろうと、
人々は暗黙のうちに、
おいたわしく思い、
心を寄せた。
帝や、
(冷泉帝・・源氏と藤壺中宮を両親とする)
東宮(朱雀院の御子)からも、
さまざまの贈り物があった。
六條院(源氏)からも、
贈り物はあった。
中宮(亡き六條御息所の姫君)からは、
姫宮へのご装束と櫛箱の、
贈り物がある。
その中に、
昔、入内のおり、
朱雀院から贈られた、
御櫛上げの調度を、
手を加えて奉られた。
この秋好中宮がまだ、
姫宮でいられたとき、
(伊勢の斎宮を退かれてのち)
朱雀院が思いをかけられたのを、
源氏の力で冷泉帝へ入内、
ということになってしまい、
朱雀院は恋を失われた。
姫宮入内の日、
院は贈り物の櫛筥を奉られた。
朱雀院は昔を思い出されて、
あわれに思われること限りない。
この秋好中宮への、
失われた恋、
あのこと、このこと・・・
朱雀院の半生は、
なぜか心残りと、
秘めた失意にみちておいたわしい。
せめて最愛の姫宮だけは、
幸福な輝かしい人生であってほしい。
今は過去のわが失恋よりも、
生い先長い姫宮の将来に、
望みをつながれる院であった。
朱雀院はご病気で、
お苦しいのを堪え、
御裳着の式を終えられた。
三日後、
御剃髪になった。
まわりの人々の悲しみは、
いうまでもない。
中でもことに、
朧月夜の尚侍の君は、
院にぴたりと寄り添うて、
「ほんとうに、
ご出家なさるのですか、
わたくしを捨てて、
この世を逃れておしまいに、
なるのでございますか」
と声を限りに泣き伏してしまう。
院はいろいろに、
言いこしらえて慰められるのも、
しみじみした悲しさである。
「子を思いきることは、
出来るが、
こうも思い合った妻との別れは、
堪えがたい。
男と女の仲を断ち切ることは、
親子の別れより断ちがたい」
と院はお心が乱れる。
しかし、
かねて決められたことなので、
病中の苦しさを押さえられて、
出家の儀式をすすめられる。
比叡山の座主をはじめ、
御受戒の阿闍梨が三人いて、
法服をお着せする。
この世を捨てられる儀式の、
さまざまの作法は、
悲しいかぎり。
もはや、生きて彼方の、
彼岸の人になられるわけである。
姫宮がた、
女御更衣、
この御殿に仕える人々みな、
泣き悲しんだ。
帝をはじめ、
あちこちからのお見舞いは多い。
源氏も、
少し院のご気分がよいと聞いて、
早速、お見舞いに出かけた。
院は源氏を喜んで迎えられたが、
院の変わられたお姿を拝見して、
源氏は涙がこぼれる。
「父院(桐壺院)に、
おくれ奉ってから、
私も世の無常を知り、
いつかは出家の志を、
持っておりました・・・」
源氏はいった。
「はからずも、
院のご出家姿を、
先に拝するようになりましょうとは」
もとより院も、
お心弱くなっていられて、
しおれたご様子に見えた。
院は例のことを、
お打ち明けになりたいようで、
ためらわれた。
「女御子を、
あまた置いて出家するのが、
気がかりでならないのです。
中でも寄る辺のない子が、
ことに気がかりで・・・
この子は母もいませんし、
私が出家すると、
どうなることかと・・・」
院のお癖から、
単刀直入に、
言葉に出して、
源氏に頼むとは、
仰せにならない。
源氏はその兄君の優柔さを、
今はお気の毒にも、
いたわしくも思う。
それと共に、
女三の宮への関心が芽生えた源氏は、
この際、そしらぬ風で、
院のお話を逸らせることも、
出来なかった。
(次回へ)