・このあいだ、
天皇さんの関西お引っ越しおすすめ論を書いたが、
そのあと京都の人いわく、
「天皇はん、
東京からどこぞへ移らはる、いうたかて、
そもそもあんた、京都の人間は、明治維新のとき、
東京へ移らはったんかて、
ちゃんと納得してまへんねんで」
とのことである。
その人は何百年も続いた古いお家柄の人である。
こういう人が京都にはごろごろいるので、
話はようく聞かないといけない。
笑い話ではなく、
「戦争で丸焼けになって」といわれて、
「京都も空襲ありましたか」なんていうと、
「いや、もっと前の戦争どんにゃ」
「蛤御門の変。
鳥羽伏見の戦い。
河原町三条は長州屋敷のどんどん焼け」
「そんな新しいのやおへん。応仁の乱どす」
小さい店でわりに古う続いとります、といわれて、
うんと古いつもりで私はお愛想に、
「二百年ぐらい前?」なんていうと大変だ。
「そない新しいもんやおへん。四百年と聞いとります」
縄文時代からの系図を持ってる家もある。
そういう古い都では、
なにさま、維新になったとき、
新政府のプランナーたちが、
(どっか、全く新しい町へ、
象徴に移って頂かなくてはやりにくい)
と思うのも当然。
それが、古き京都人には、納得できん、といわれる。
「あの遷都は京都の人間がまだ心から、
納得してへんのどす。得心がいきまへん。
京都に黙って東京へ行かはった。
みな、まだお恨みに思てます。
すっきりせえへんのどす」
とてものことに、
いまのお引っ越しの相談どころではない、
その前に、「だまって東京へ行かはった」ちゅうのが、
京都人にはそもそも、
「まだ腹に据えかねてまんにゃ」というのだ。
「前の戦争」が「応仁の乱」で、
「わりに古い」のが「四百年前」だから、
百年ちょっと前の事件は、昨日のことのようである。
マジに怒ってはるのである。
「あんた、維新で金要るいうて、
京都の人間に、お上は、
沢山(ようけ)お金を出さしはりましたがな」
「はあ、新政府は資金源がありませんからねえ」
錦の御旗の朝敵征伐やいうたかて、
そんな金はみな、京・浪花の人間が出したんどす。
調達費は十万両やったいいまっせ、
京都の人間は『しゃあない、天朝はんのためとあらば』
いうて出しました、今までお世話になってることやし、と。
十万両どこやおまへん、そういうのがなんべんもきましたんや、
一ぺん二へんやおへん」
「すみません」
私は、自分がもらったわけでもないのに、
うなだれてしまう。
それにしても京都の人はおかしい。
年齢からいえば、この人のひいおじいさんの、
まだその上の父上の頃であろうのに、
「納得せん」気持ちは、今も熾烈である。
「お上」と「天皇はん」に対して、
「すっきりせえへん」不平は、
脈々と子孫に伝えられておるらしい。
「そのくせ、何どすねや、
明治新政府がでけたら、
天皇はん急に東京へ行かはって。
そら、よろしで。
こういうわけで、東京に遷都する、あんばい頼む、
といわれたら、京都は淋しいけど、
それが天朝はんのおためならば、
と得心します。
得心ずくめで送り出します。
それが何にも、いわはれへん」
「は?」
「黙ってスッと行かはった。
ちょっとだけ、東京へ行てくる、
いうて出はったよってに、
また帰りはるやろ、思てたら、
そのまま、向こうに居付きはったんどす。
京都も沢山、お金調達してさしあげてんのに、
ご挨拶もなしに東京へ行てしまわはったんどす。
あんた、そもそも『東京遷都』の詔勅なんてあらしまへんのや。
何も出てまへんのやで」
「は?出てませんでしたっけ?」
私は自分の手落ちのように狼狽してしまう。
誰や?手抜かりをやらかしたのは。
ええかげんな手抜きをするから、
百二十年も経って私は京都人に糾弾されている。
「こっそり行かはりましたんや。
ほんで、いつのまにやら江戸城へ入りこまはって、
江戸が東京になってる」
「ハハア・・・」
「そやけど、まだ京都には皇后さんがいやはりました。
皇后さんいやはるよってに大丈夫、
いまに天皇さんも帰って来はるやろ、
と京都の人間は安心したんどす。
ほんなら、これまた知らん間に皇后さん、
中山道通ってこっそり東京へ行かはった。
京都は、どんな気した、思いはります?」
「申し訳ありません」
この際、私の責任違う、といえない雰囲気であった。
「抜け目のないお店は、
天皇さんについて東京へ行て、
東京、本店にしはりました。
けど、古い人間は、いつか京都へ還らはる、
と思いつつ、みな京都で待ってたんどす。
そやのに一向、その気もない。
裏切られた思いで、みな得心してへんのどす」
私は家へ帰って歴史年表をひもといてみる。
明治二年(1869年)三月二十八日東京奠都となっているから、
詔勅は出たのであろうが、
京都人サイドの維新史からは、
出ていないことになっているのであろう。
「しかしよろしいなあ、
そういう『納得せん』思いを脈々と子孫が持ち続ける、
という頑固さは、京都人のよさですなあ」
カモカのっちゃんは珍重に価すという。
本日で「浪花ままごと」終わります。
おつきあいありがとうございました。