<恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり
人しれずこそ 思ひそめしか>
(ぼくが恋に悩んでいるという噂は
早や 世間に散ってしまった
ぼくは あの人を
人知れず 思い初めたばかりなのに・・・)
・忠見の歌は、私見では兼盛の、
「忍ぶれど・・・」よりも実感が強く打ち出され、
それが説得力あるものにしている。
兼盛の歌は技巧が目立ち、
しらべが流麗すぎる。
恋の歌は波長があらまほしい。
忠見の歌には、どこか激越な気分がひそんでいる。
それが絶望感にもつながっている。
とうてい成らぬ恋、
という状況も示唆されている。
これは悲恋の歌である。
といって兼盛の歌もしりぞけがたい。
忠見か兼盛か。
どちらをとるか、千年来の論争になっている。
壬生忠見は、30番の「有明の つれなく見えし・・・」
の作者、壬生忠岑の子。
幼児から歌が巧かったが、
家は貧しく、父同様生涯微官で終わった。
天徳四年の歌合わせには、
歌の堪能を以て勅命で召されたのであった。
忠見はこの名誉をどんなに喜んだことであろう。
彼は感激して、地方の任地から、
「田舎の装束のままにて」とあるように、
田舎者の格好で上京し、召しに応じてこの歌を詠んだ。
忠見は一世一代の光栄に十分こたえるだけの、
力作を詠進したといえよだったう。
さて、左右の歌の優劣をきめかねるまま、
一座はいよいよエキサイトする。
判者はついに「天気」をうかがった。
村上天皇も困られた。
どちらがよいとも仰せにならぬまま、
右方の「忍ぶれど・・・」の歌を口ずさまれた。
帝のご内意では、
双方の歌を口ずさんで、
ゆっくり優劣を考えるおつもりだったかもしれぬが、
右方の歌を詠じられた段階で、
源高明は、
「天気、もしくは右にあるか」
と判者にもらし、判者はそこで、
「右が勝ち」と宣した。
もっとも判者は、
引き分けかと考えていたらしい。
しかし、ともあれ、兼盛の歌が勝ちと決まり、
右方はどっと勝どきの音楽を奏する。
そのうちにようやく、
夜は白々と明け、帝は入御された。
さて、作者の歌人たちはその座には列していない。
兼盛は衣冠正しく陣の座にいて、
勝ち負けの知らせを待っていた。
勝ったと聞くや、喜びを押さえきれず、
その他の勝負のことは聞きもせず、
拝舞して退出した。
一方、忠見も、別のところで吉報を待っていた。
「恋すてふ」は忠見の自信作であったから、
勝ちを信じていた。
そこへ心外の知らせがきた。
そのとたん、忠見は大きいショックを受け、
食べものものどを通らず、
ついに「不食の病」になって死んでしまった。
この伝承のために、
二人の歌は、いつまでも世に残った。
勝ち負けを決めずに、
引き分けとしたらよかったのに、と思う。
田舎装束でかけつけて、
歌人としての名誉に感謝しつつ、
渾身の力をこめて美しい恋歌をよみ、
それが負けと知らされて落胆した忠見に、
私は今もひいきしている。
それはともかく、
俊成の『古来風躰抄』にも、
二首ならべているが、定家も二首あわせて、
鑑賞すべきものとして並べ採ったのであろう。
(次回へ)