むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「ナンギやけれど」 ⑤

2023年01月02日 08時58分52秒 | 「ナンギやけれど」   田辺聖子作










・これは神戸の知人の子供さんですけれども、
とっても言うことをきかなくてやんちゃで、
こういうのは関西弁で<ごんた>と言いますけど、
ごんたの子の小学生がいました。

でも、どかんと地震がきたときに、
お父さんはいつもけんかしているのに、
お父さんが思わず末っ子のごんたの上に、
ぱっとかぶさったんだそうです。

お父さんにしてみると、
全く無意識で、上の子供たちは大きいから、
これは自分で自分の身を守るだろう、と。

自然な無意識な選択でしょうね。

ちっちゃな末っ子の小学生が危ないというので、
思わず隣のふすまをけり破って、
その子の上に覆いかぶさった。

私たちはそれを聞いて、
う~んと唸ってしまいました。

そうしたら、その男の子も、
やぱり考えるところがあったのか、
お母ちゃんには言わないんですね。

近所のおばさんに、

<お父ちゃんは、
やっぱり僕をかわいがっとるんやろうかなあ>

なんて聞いていたそうです。おばさんが、

<当り前やないの、親やもん。
子供がなんぼ憎たらしいことを言うても、
かわいがりますよ>って。

<ふ~ん>なんてかわいく言って、
それからとっても素直で神妙な子になったそうです(笑)。

それから、
これは新聞で読んだ話ですけれど、
十五歳の中学生の少女、
中学生のその年ごろですと、
ほんとうにやりにくいというか、
大人に批判的というか、
批判力が育っていいことなんでございますが、
ふだんお父さんとあまりものを言わない、
お父さんを批判ばかりしているんですけど、
いざ大変な地震が起きたときに、
みんな家中で女の子はキャーとか言ってるし、
男の子はお母ちゃんとか泣き叫んでいる。

そのときにお父さんが大きな声を出して、

<全員、リビングに集れ>

って怒鳴りはったそうです。

十五歳の少女はそのとき、
あ、お父さんはリーダーだ、リーダーだったんだと、
そう思ったと言っていました。

これも大変いい話だと思います。

川柳作家の椙元紋太さんの句に、

「落ち着いて見せるが 父の役目なり」

というのがあります。

紋太さんは、何でもない日常のことから、
すてきな句をつくられるかたですけれども、

「落ち着いて見せるが 父の役目なり」

というのが、今度の震災でも、
たくさんたくさん証明されたことだと思います。

十九歳の少年の証言というのもございます。

彼は小学三年生のときに新しいお父さんがいらして、
どうもウマが合わないので、それからは、
お父さんに逆らってばかりいた。

でも、その地震が起こったときに、
お父さんが危ないといって、
お母さんの上に覆いかぶさった。

それを見て少年が、
うん、やっぱり男だという気がしたんだそうです。

女を守っている。

お父さんがてきぱき指図する、
親類のどこそこへ連絡せよ、
水と食料の手配。

大人の男の頼もしさを少年ははじめて見ました。

それから、お父さんと心から打ち解けて、
そんなに円滑じゃないけど、
ぼちぼちとものを言い合ったり、
一緒にお風呂行こうとか、
いたわりあったりするようになった、
ということでございます。

でも、私が聞いた中で一番、
ものすごい震災の被害というのは、
東神戸に六甲道というところがあります。

その辺の被災度は、大変大きかったんですけど、
そこのマンションにいらした女のかたの証言です。

タンスがぶっ飛んで、
天井のシャンデリアを薙ぎ倒したというんですね。

想像もできないことです。

でも、このタンスは、
たくさんの人を殺しもしましたけれども、
シャンデリアを薙ぎ倒していく芸当ができるとは、
思いもしませんでした。

直下型地震ではタンスが飛び上がるという研究が、
新聞に出ておりました。

尼崎のほうですけれど、
ある人の証言によりますと、
最初の縦揺れでタンスが前に倒れた。

次の横揺れで起き上がってしまったというのがあります。
これもものすごいですね。

でも、ほんとうにそういうことがあるんですね。

これは神戸の女性、
中年主婦ですけれど、
ご主人と反りが合わなくて、

<早くあのじじい死んでくれへんかしら。
そんなら私、一番先に何すると思う?>

と言うから、

<知らんやないの、そんなこと>と言いましたら、

<海外旅行に行くわ。
はじめパリで、それからヴェニスに行こうかしら>

と言って、
ご主人が亡くなることばっかり楽しく空想して、
おられるかたがいらしたんですが(笑)、
その地震が起きましたときお二人で逃げられて、
避難所へ入られました。

そうしますと、
避難所にやっと持ち込めたのは、
そばまで火が迫っていたので、
一組のお布団だけだったそうです。

しょうがありませんので、
避難所でいつも一つの布団にくるまって寝ていらして、
それからお風呂は避難所では入れませんので、
焼け残った知り合いの家のお風呂へいらっしゃる。

ところがその家も大人数のご家族の上に、
ほかにもたくさん被災した人々がお風呂を貸して下さいと、
いらっしゃるので、そんなにゆっくり入っていられない。

しょうがないので、
ご夫婦一緒に入ったそうです。

何だかその主婦のかたは急に言葉も変わられまして、

<それから私、えらい主人と仲良うなってしもて>

ということで、
パリの海外旅行も、ヴェニスへの旅も、
しばらくお預けの状態でございます(笑)。

でも、そんなのばかりではございませんで・・・






          


(次回へ)

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