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・またもう一人の友人は、
ぐらっときたときに、彼女が一番心配だったのは、
九十歳のお母さんと一緒に暮らしている、
どうしていいかわからない、
とにかく妹の家のほうが頑丈そうだから、
そこへ連れて行こうと、
まだ余震が続くなかをお母さんを外へ引っぱり出したんですが、
車は通っていたそうです。
だけど、どういってとめていいかわからない。
彼女はとっさに、真っ赤な、一番派手なオーバーコートを着て、
人目に目立つようなところに立って、
<九十歳の老母がいます、
助けてください、乗せてください>
と言ったら、
二台ほど車が止まってくれたそうです。
みんなそのときは、
ほんとうに地震に遭った人は助け合いますのね。
皆さんご承知の「神戸っ子」というタウン誌がございますが、
そこの編集長は、女性編集長ですけど、
小泉さんという方も、へしゃげたマンションの中で、
十一階だか十階だか、ずっとそこで、
十二時間頑張っていたそうです。
もうドアが開かなくなってしまって、
それでも助かったのは、
新聞配達の兄ちゃんがずっとドアを叩いてまわってくれて、
<大丈夫ですか>といってくれて、
心強かった。
その次にレスキュー隊が来たんですけれども、
それはもう何時間もたってのこと。
しかもさらに、ちょっと待ってくださいと。
もっと緊急を要するほうへ行ってしまって、
どうしよう、こんな出られない所で火でもきたら大変だ、
と思っていたそうです。
でも、やっと十二時間後にレスキュー隊に救い出されました。
そのときの彼女の言い方がおかしいんですが、
<ここで神戸っ子やということを見せないかん>
というので、
別にそんなことをすることはないと思うんですが、
コティの口紅を塗っておりたというんですね(笑)。
それでもってまた、
そのときに下から見ていた子供たちが、
子供心にやっぱり危ないなと思ったんでしょうね。
<おばちゃん頑張れ>って叫んでくれたそうなんです。
それを彼女はむらむらと腹が立ったって言う。
<どうして>と私が言いましたら、
<何でおねえちゃんって言わへんの>と言うんですね。
彼女は芳紀五十八歳でございますけど(笑)。
でも、そういうところがちょっと、
神戸っ子の変なところでございます(笑)。
まあ、関西ですからおかしな話は、
ずいぶんございました。
でも、うちの近所の伊丹のマンションですが、
伊丹も皆さま、
写真やテレビでご承知になったかと思いますけれど、
阪急伊丹駅の上に電車が乗っかっちゃいましたでしょう。
あれはうちから一駅先の終点の駅なんですけれど、
あそこが壊れて死傷者が出ましたので、
みんなびっくりしてくれて、
とうとうイタリーのローマからも、
友人が電話をかけてきてくれました。
<伊丹駅の写真見て驚いたよ。
ローマの新聞にでかでか出ているよ、
伊丹なら近くだと思って心配したよ>
ということで、
ずいぶん、伊丹駅も、
インターナショナルになったんでございますけど、
その伊丹駅の近くのマンションの話です。
五時四十六分の最初の地震のあと、
余震がずっと続くものですから、
マンション中、近くの伊丹小学校へ避難してください、
ということになりまして、住民はみんな、
手に水筒やバッグを持ちリュックを背負って、
子供にも子供なりのちっちゃなリュックを背負わせ、
食料を入れて、寒いときでございましたから、
着替えもいっぱい持って、
みんな二つしかない階段を列を作って、
どっと下りていきます。
もうエレベーターは、
電気が来ないので使えません。
そういうときに、
下からなんとタンスを、
わっしょいわっしょいと運んでくる人がいます。
<どうしたんですか>って、
みんな住民の人が怒っていましたら、
<いや、半壊した家具屋で、
これ半値にするから持って帰ってくれって言われたから。
半値だっせ、半値>
だっていって、
タンスを持って上る人がいた(笑)。
みんなが血相変えてかけおりていく中を、
それにさからってタンスを担いであがるという根性(笑)。
あれはひどかったって、
マンションの人が言いましたけれども、
私は<まあ、西鶴の小説みたいじゃない>
って感心してしまった(笑)。
そんなことがいろいろあったんでございますが、
この阪神大震災というのは、
人間関係のいろいろなことを考えさせました。
私たちが聞いて、
ほんとうに悲しい感動を与えることが多うございました。
救助隊の人たちが埋もれた人々を救い出します。
<やっぱり親子ですね>とおっしゃっていたのは、
お父さんは息子さんの上に、
お母さんはちっちゃな女の子の、三つ、四つの子の上に、
覆いかぶさって、そのまま一家四人で死んでいった。
こういうのをよく聞きます。
それはもう、
ほんとうにたくさんの人が埋もれてしまって、
大変なことですけれども、
生き残った人も、
何かいろいろな考え方なり、
親子の仲なりが改まったような気がします。
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・あけましておめでとうございます。
旧年中はおつきあいくださってありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
(次回へ)