むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「ナンギやけれど」 ④

2023年01月01日 13時00分53秒 | 「ナンギやけれど」   田辺聖子作










・またもう一人の友人は、
ぐらっときたときに、彼女が一番心配だったのは、
九十歳のお母さんと一緒に暮らしている、
どうしていいかわからない、
とにかく妹の家のほうが頑丈そうだから、
そこへ連れて行こうと、
まだ余震が続くなかをお母さんを外へ引っぱり出したんですが、
車は通っていたそうです。

だけど、どういってとめていいかわからない。

彼女はとっさに、真っ赤な、一番派手なオーバーコートを着て、
人目に目立つようなところに立って、

<九十歳の老母がいます、
助けてください、乗せてください>

と言ったら、
二台ほど車が止まってくれたそうです。

みんなそのときは、
ほんとうに地震に遭った人は助け合いますのね。

皆さんご承知の「神戸っ子」というタウン誌がございますが、
そこの編集長は、女性編集長ですけど、
小泉さんという方も、へしゃげたマンションの中で、
十一階だか十階だか、ずっとそこで、
十二時間頑張っていたそうです。

もうドアが開かなくなってしまって、
それでも助かったのは、
新聞配達の兄ちゃんがずっとドアを叩いてまわってくれて、
<大丈夫ですか>といってくれて、
心強かった。

その次にレスキュー隊が来たんですけれども、
それはもう何時間もたってのこと。

しかもさらに、ちょっと待ってくださいと。

もっと緊急を要するほうへ行ってしまって、
どうしよう、こんな出られない所で火でもきたら大変だ、
と思っていたそうです。

でも、やっと十二時間後にレスキュー隊に救い出されました。

そのときの彼女の言い方がおかしいんですが、
<ここで神戸っ子やということを見せないかん>
というので、
別にそんなことをすることはないと思うんですが、
コティの口紅を塗っておりたというんですね(笑)。

それでもってまた、
そのときに下から見ていた子供たちが、
子供心にやっぱり危ないなと思ったんでしょうね。

<おばちゃん頑張れ>って叫んでくれたそうなんです。

それを彼女はむらむらと腹が立ったって言う。

<どうして>と私が言いましたら、

<何でおねえちゃんって言わへんの>と言うんですね。

彼女は芳紀五十八歳でございますけど(笑)。

でも、そういうところがちょっと、
神戸っ子の変なところでございます(笑)。

まあ、関西ですからおかしな話は、
ずいぶんございました。

でも、うちの近所の伊丹のマンションですが、
伊丹も皆さま、
写真やテレビでご承知になったかと思いますけれど、
阪急伊丹駅の上に電車が乗っかっちゃいましたでしょう。

あれはうちから一駅先の終点の駅なんですけれど、
あそこが壊れて死傷者が出ましたので、
みんなびっくりしてくれて、
とうとうイタリーのローマからも、
友人が電話をかけてきてくれました。

<伊丹駅の写真見て驚いたよ。
ローマの新聞にでかでか出ているよ、
伊丹なら近くだと思って心配したよ>

ということで、
ずいぶん、伊丹駅も、
インターナショナルになったんでございますけど、
その伊丹駅の近くのマンションの話です。

五時四十六分の最初の地震のあと、
余震がずっと続くものですから、
マンション中、近くの伊丹小学校へ避難してください、
ということになりまして、住民はみんな、
手に水筒やバッグを持ちリュックを背負って、
子供にも子供なりのちっちゃなリュックを背負わせ、
食料を入れて、寒いときでございましたから、
着替えもいっぱい持って、
みんな二つしかない階段を列を作って、
どっと下りていきます。

もうエレベーターは、
電気が来ないので使えません。

そういうときに、
下からなんとタンスを、
わっしょいわっしょいと運んでくる人がいます。

<どうしたんですか>って、

みんな住民の人が怒っていましたら、

<いや、半壊した家具屋で、
これ半値にするから持って帰ってくれって言われたから。
半値だっせ、半値>

だっていって、
タンスを持って上る人がいた(笑)。

みんなが血相変えてかけおりていく中を、
それにさからってタンスを担いであがるという根性(笑)。

あれはひどかったって、
マンションの人が言いましたけれども、
私は<まあ、西鶴の小説みたいじゃない>

って感心してしまった(笑)。

そんなことがいろいろあったんでございますが、
この阪神大震災というのは、
人間関係のいろいろなことを考えさせました。

私たちが聞いて、
ほんとうに悲しい感動を与えることが多うございました。

救助隊の人たちが埋もれた人々を救い出します。

<やっぱり親子ですね>とおっしゃっていたのは、
お父さんは息子さんの上に、
お母さんはちっちゃな女の子の、三つ、四つの子の上に、
覆いかぶさって、そのまま一家四人で死んでいった。

こういうのをよく聞きます。

それはもう、
ほんとうにたくさんの人が埋もれてしまって、
大変なことですけれども、
生き残った人も、
何かいろいろな考え方なり、
親子の仲なりが改まったような気がします。






          









・あけましておめでとうございます。
旧年中はおつきあいくださってありがとうございました。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

(次回へ)

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