「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

8、姥あきれ  ②

2021年09月17日 07時37分59秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・若先生に注射してもらい、
おクスリをのむと眠くなり、眠ってしまった。

三回ぐらいインターホンが鳴るが、うち捨てておく。

カミもとかさず、お化粧もしていないので、
この姿を人さまの目にさらすのはいやである。

夕方、電話のベルで起こされた。

「今晩いてるか?」次男である。

また愚痴を言いに来るらしい。

「今晩はあかん」

「いつもあかんのやな」

「風邪ひいて寝てますのや。
朝からゴハンも食べんと寝るばっかりや」

「風邪ひいた?何してるねん。外ひょろひょろ、歩くさかいや!
ほな、誰も居てへんのか、西宮も箕面も来てへんのか、けしからんな」

長男と三男のことを言う。

「どっこも知らせてへんのや。ま、寝てたらなおるし・・・」

「一人でほっとかれへんやないか。くそっ、もう、そやさかい・・・」

次男はイライラする。

「西宮の嫁はんあたりが、いちばん無責任や。
電話しとくわ。長男のくせに」

「もうええ、あたしゃ、一人で寝るほうが気楽や・・・」

「なんで、病気なんかするねん!」

次男はボロクソに叱って切る。

たちまち、次々と電話がかかる。


~~~


・「どないしましてん、
さっきキヨアキから電話あったけど、病気やて?」

「大したことないけど、ちょっと熱出て、体だるい」

「医者に診せましたんか?
誰ぞおりますのんか、看護するもん。
医者来たとき、一人やったんか?」

「そや」

「そらまた格好わるい。
トシヨリの病人一人置いといて、医者はあきれよったやろ。
なんで医者より先にウチへ電話で知らせへんねん」

この男は私の容態より世間体が大事な男である。

「お母ちゃんはな、ひょっとしたら肺がんかもしれまへん」

「あほなこと、医者が何ぞ言うたんか?」

長男はうろたえる。

夜に入って長男の嫁から電話がある。

「お具合いかがですか。
今、お口に合いそうなもの、マサ子に持たせましたから、
使ってやって下さい。私が伺えばいいんですけれど、
ケンの入試が心配なんで、いえ、ついていってやるんですよ。
私立ですから早いんですよ。今年こそはと思いますわ。
じゃ、お大事に」

一人でしゃべって切ってしまった。

次に次男の嫁、

「お姑さん、まさか脳軟化症、ではないでしょうね」

「何を言うてんのや、私はそこまでいってませんよっ!」

次に三男の嫁、

「お姑さんはお風邪だと思っていらっしゃるらしいけど、
もしかしたら大きな病気の予兆かもしれませんし・・・」

「須美子さん、あんたのようなんを昔の船場では、
『牛のおいど』といいますねん」

「は?どういう意味ですか」

おいどはお尻、牛のお尻はモーシリ、
「物知り」をひやかして言った苦しいしゃれである。

「何でもよう知ってはる、ということ」

そのうち、孫娘の短大生であるマサ子がやって来た。
松花堂弁当とパック入りのお汁を持って。

「何か用事ある?」

マサ子はいうが、自分から考えるということはしない。
松花堂弁当は近所の仕出し屋から取ったらしい。

ひと口、ふた口食べて眠ってしまった。


~~~


・いろいろな夢を見る。

インターホンの音で目覚める。
外は明けていてもう八時である。

あたまはスッキリして、熱もないみたい。
ドアを開けたら、お政どん。

「ぼんぼんからお電話でご病気と聞いて急いで参じました。
急いでおかゆ炊きますよって、おあがりやす」

お政どんは、おかゆを炊いてくれながら、
夕べの弁当の中身も上手に暖めて皿に盛っていく。

「お政どん」

「へえ」

「おなかが空いてきたわ。
おかゆでは追いつかん。ビフテキが食べたいわ。
何や知らん力が出てきましたわ」

前沢番頭の分まで生きてみせたろ、
私はモヤモヤさんがあきれるくらい気力がわいてくる。






          


(了)

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