・「医者の卵け」
「そうです」
「キャンプはええけど、
川原で寝よると蛇が来るぞ。
細(こ)まい蛇で毒はないけどな」
学生はすくみあがり、
ついで、なさけなさそうな声で、
「あのう、
お金払いますから、
何か食うもんないでしょうか」
「めし持って来てないのか」
「縄文ごっこをやっているんですが、
川の魚は釣れないし、
山には何も食うもんなくて」
学生は半ば、涙声になっていた。
この青年は、夏休みに友人に誘われ、
縄文ごっこを試みようと思い立ったそうである。
全く、見知らぬ土地で、何も身につけず、
縄文人さながらの原始生活をやろうと、
意気込んでいたのだが、
夕べは何とか、
持ち込んだ乾パンと水で飢えをしのいだものの、
魚も釣れず、山菜もなく、
二日目はもう食べるものもなくなり、
「いま、友人が川原でトカゲ焼いてますが、
僕はどうしても食う気がしません・・・」
「何、トカゲ。
あらうまいもんやぞ。
あれが食えんなら、
縄文ごっこも大したことでけん・・・
それより、どこで火たいとる」
秋月さんは、
学生らが飢えようが飢えまいが、
知ったこっちゃないが、
山火事でも起されてはどんならん、
という気があるらしかった。
我々の家のつい近くの川原に、
青年がたき火をしていた。
「こんなところで燃やされてはどんならんがな。
家が近いのに」
と秋月さんは文句をいったが、
不親切なわけではない。
私をふり返って、
「めし、残りもんでもやりまほか」
ときいた。
魚も山菜も、まだ残っている。
私は、この二人の縄文人にさし上げてもよいといった。
「あない、いうたはる。
ほんならよばれなさい。
ほんで、寝るのは、
食堂のコッテージ借りたらええやろ」
「すみません」
「どうも」
と青年たちは息を吹き返したようについてきた。
宮本さんは、たき火を踏み消し、
ついでに「よう焼けとる」といいながら、
トカゲを食べてしまった。
青年の一人は、
たまらないように家に入るが早いか、
煙草を吸った。
もう一人の青年は、
眼鏡をかけていないが、
しかしやはり背がひょろひょろと高く、
どこかたよりなげな体つきである。
彼の方は、
お酒と、焼き魚に、
たまらなくなったのか手を出した。
「いい匂いが流れてくるので、
つい辛抱できませんでした。
一杯いただきます」
「ああ、どうぞ」
夫は酒をついでやった。
「縄文時代には、酒も煙草もないやろが」
秋月さんは意地悪をいっている。
「いや、ちょっと今だけ、現代にかえります」
「都合のええ遊びやのう」
「しかし、意外に、
戸外では食べものがないもんですね」
青年二人は、
私が作ったにぎりめしをぱくつき、
酒を飲み、ヤマメを食べたせいで、
とみに元気を盛り返している。
「手ぶらで自然の中で生活する、
なんてことは出来るもんではないですねえ」
「そんなもん、慣れたもんでないとそら、でけんわ。
魚釣りにしろ、素人が釣ってすぐヤマメが上がったら、
誰が苦労するか。
山に生えとる草、食べられるもんと食べられへんもんと、
見分けがつくか、
そんなチエのない人間は赤児と同じやさけ、
赤児を山の中へ抛りだしたかて、
飢え死にするのと一緒や。
あんたらに、縄文ごっこやたら、
できるはずがない」
「何しろ、そういう生活のチエは、
大学では教えてもらえないからなあ。
東大医学部では」
とまた眼鏡の青年はいい、夫は、
「なん吐(か)しけっかんねん」
といって、奥の間へ入って、
センセや宮本さんと飲みはじめた。
夫は自己顕示欲の強い人間に、
拒否反応をおこすほうである。
でも、この青年が「東大医学部」を連呼したって、
私も別にホンモノかニセモノか、
確かめる気もしないが、
しかし、それ故にこそ、
私にはホンモノのように思えた。
ニセモノなら、
もっと奥ゆかしく振る舞うかもしれない。
秋月さんは東大だろうが、医学部だろうが、
何を聞いても屁とも思わないという顔で、
「あんたらみたいなもん、そら無理やで。
なま栗食べて、あけび食べて、
マムシ捕って焼いて食うようでないと、
縄文ごっこやたら、野宿やたら、
そら、無理、ちゅうもんやわ」
といってきかしていた。
青年たちは今は、
秋月さんの言葉も耳に入らず、
食事をむさぼっているようであった。
(了)