むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

9、なま栗をたべる ⑦

2022年12月19日 09時10分33秒 | 「浜辺先生町を行く」  田辺聖子作










・「医者の卵け」

「そうです」

「キャンプはええけど、
川原で寝よると蛇が来るぞ。
細(こ)まい蛇で毒はないけどな」

学生はすくみあがり、
ついで、なさけなさそうな声で、

「あのう、
お金払いますから、
何か食うもんないでしょうか」

「めし持って来てないのか」

「縄文ごっこをやっているんですが、
川の魚は釣れないし、
山には何も食うもんなくて」

学生は半ば、涙声になっていた。

この青年は、夏休みに友人に誘われ、
縄文ごっこを試みようと思い立ったそうである。

全く、見知らぬ土地で、何も身につけず、
縄文人さながらの原始生活をやろうと、
意気込んでいたのだが、
夕べは何とか、
持ち込んだ乾パンと水で飢えをしのいだものの、
魚も釣れず、山菜もなく、
二日目はもう食べるものもなくなり、

「いま、友人が川原でトカゲ焼いてますが、
僕はどうしても食う気がしません・・・」

「何、トカゲ。
あらうまいもんやぞ。
あれが食えんなら、
縄文ごっこも大したことでけん・・・
それより、どこで火たいとる」

秋月さんは、
学生らが飢えようが飢えまいが、
知ったこっちゃないが、
山火事でも起されてはどんならん、
という気があるらしかった。

我々の家のつい近くの川原に、
青年がたき火をしていた。

「こんなところで燃やされてはどんならんがな。
家が近いのに」

と秋月さんは文句をいったが、
不親切なわけではない。

私をふり返って、

「めし、残りもんでもやりまほか」

ときいた。

魚も山菜も、まだ残っている。
私は、この二人の縄文人にさし上げてもよいといった。

「あない、いうたはる。
ほんならよばれなさい。
ほんで、寝るのは、
食堂のコッテージ借りたらええやろ」

「すみません」

「どうも」

と青年たちは息を吹き返したようについてきた。

宮本さんは、たき火を踏み消し、
ついでに「よう焼けとる」といいながら、
トカゲを食べてしまった。

青年の一人は、
たまらないように家に入るが早いか、
煙草を吸った。

もう一人の青年は、
眼鏡をかけていないが、
しかしやはり背がひょろひょろと高く、
どこかたよりなげな体つきである。

彼の方は、
お酒と、焼き魚に、
たまらなくなったのか手を出した。

「いい匂いが流れてくるので、
つい辛抱できませんでした。
一杯いただきます」

「ああ、どうぞ」

夫は酒をついでやった。

「縄文時代には、酒も煙草もないやろが」

秋月さんは意地悪をいっている。

「いや、ちょっと今だけ、現代にかえります」

「都合のええ遊びやのう」

「しかし、意外に、
戸外では食べものがないもんですね」

青年二人は、
私が作ったにぎりめしをぱくつき、
酒を飲み、ヤマメを食べたせいで、
とみに元気を盛り返している。

「手ぶらで自然の中で生活する、
なんてことは出来るもんではないですねえ」

「そんなもん、慣れたもんでないとそら、でけんわ。
魚釣りにしろ、素人が釣ってすぐヤマメが上がったら、
誰が苦労するか。
山に生えとる草、食べられるもんと食べられへんもんと、
見分けがつくか、
そんなチエのない人間は赤児と同じやさけ、
赤児を山の中へ抛りだしたかて、
飢え死にするのと一緒や。
あんたらに、縄文ごっこやたら、
できるはずがない」

「何しろ、そういう生活のチエは、
大学では教えてもらえないからなあ。
東大医学部では」

とまた眼鏡の青年はいい、夫は、

「なん吐(か)しけっかんねん」

といって、奥の間へ入って、
センセや宮本さんと飲みはじめた。

夫は自己顕示欲の強い人間に、
拒否反応をおこすほうである。

でも、この青年が「東大医学部」を連呼したって、
私も別にホンモノかニセモノか、
確かめる気もしないが、
しかし、それ故にこそ、
私にはホンモノのように思えた。

ニセモノなら、
もっと奥ゆかしく振る舞うかもしれない。

秋月さんは東大だろうが、医学部だろうが、
何を聞いても屁とも思わないという顔で、

「あんたらみたいなもん、そら無理やで。
なま栗食べて、あけび食べて、
マムシ捕って焼いて食うようでないと、
縄文ごっこやたら、野宿やたら、
そら、無理、ちゅうもんやわ」

といってきかしていた。

青年たちは今は、
秋月さんの言葉も耳に入らず、
食事をむさぼっているようであった。






          


(了)

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