・私は小さいときから、
運命というものを一個の人格のように考えていた。
運命はたいそうイタズラ者である。
そうして底意地のわるい所がある。
こっちの思惑を巧みにはぐらかすこと、
天才的なものがある。
ああか、こうか、考えられる限りの幾通りもの、
予想を用意しておく、と必ず運命は、
その網の目をくぐって、
とんでもない所に顔を出し、
「や~い、ここまでおいで、甘酒進上」
なんて手を拍(う)ってはやしたてる。
少女時代、
私は自分が生まれ育った家が、
どういう形で変化してゆくか、
漠然とした好奇心を持っていた。
やたらにだだっ広く大きくて、
人がごろごろしていて、
不思議な間取りで、
渡り廊下やかくし階段や、
日の射さない路地、
二つある暗室、
(私のうちは写真館であった)
物置きやらその向こうのもう一つある押し入れ、
不思議なものがいっぱいあるこの家を、
私は半分、人のもののように、
何か自分の身につかない借り家のように思っていた。
そしてそれを、
1、私はやがて上級学校へ入って、
寮か下宿住まいをするから、
この家と別れる。
2、今は信じられないが、
お嫁さんになってこの家を出てゆく。
そんな予感があるから、
年をとるまでこの不思議な家に居つく私が、
想像できないのであろう、
と考えていた。
そのくせ、
屋根の低い、大阪商家風のこの家の二階を、
なつかしく、いつもしみじみした気持ちで過ごしていた。
私は文学少女だったから、
この部屋で小説や詩を書き、
水彩画を描いて、
一人の午後をたのしむのだった。
そんなとき、
言葉としてはヘンだけど、
何かこの家は(添い遂げられない、なつかしさ)
みたいなものを感ずるのだった。
そのくせ、どう考えても、
上の二つの場合のほか、
私がこの家と別れることは、
ないように思われた。
ところが、それが空襲で炎上したのである。
私が十七歳、終戦二ヵ月前であった。
あの古ぼけたなつかしい家は、
私の記憶の中にしか、残らなくなった。
そういう形で別れることは思いもかけなかった。
私は、
(ヒヒヒヒ、こういう手があるのだぞ)
とカードを示して嗤っている、
運命の悪意を感じた。
なぜか私は、運命に好意を感じたことはない。
しかく、意表を衝く、ということは、
ある種の悪意である。
私はその生まれ育った家に関する限り、
テレパシーがあったと信じている。
ただそれが弱いものだったため、
空襲という異常な場合を想定出来なかっただけである。
もし強い人ならば、
きっと(この家は焼け落ちるが、ただの火事ではない)
などと予知していたかもしれない。
だから、底意地わるい運命というのはまちがいで、
本当は、運命は意地がわるいのではなく、
いろいろな現象によって、
本人に事前に知らそうとしているのに、
こちらが鈍くて、それを察知し得ず、
意表を衝かれたと思い込んでいるのかもしれない。
まして、私の運命人格論などは、
むしろ夫の当惑を買う。
ひらたくいえば、夫は私が本物の阿呆か、
分裂病ではないかと疑っている。
私はヤッキになって、
「ほんまやから。
・・・事実が予想してたことと外れるとするね、
すると必ず私には、
(や~い、こうなってたんや、知らなんだか、まぬけ)
という声が聞こえるのやから」
というと、
夫はまた疑わしげな一べつを、私に向けた。
運命の神が、いつも思いがけない手を見せて、
こっちをびっくりさせるという悪い趣味を持っているのを、
私はつねづね、ヒシヒシと感じているのだが、
それをほかの人に知ってもらうことはむつかしい。
私は「運命」の悪意から、
私や、私の親しい人を守るべく、
いろんな場合を想定している。
お袋や私の弟妹、そのつれあい、子供、
夫や夫のきょうだいやその一族、
私の友人知己、大好きな人々、
要するに私をとりまく世界の、
私が大切だと思う人たちの不幸、
彼ら彼女らと死別生別するときの辛苦、
そんな場合をいろいろ想定して、
もう何があってもおどろかない、
と思うように自分を訓練しているのである。
仲良くしていればしているほど、
死別生別の想像も強くなってゆく、というが、
私にとっては、必然的なことなのである。
そうしてその考えは夫にどんなに嗤われても、
「運命」が、悪意ある超自然の存在である以上、
私も対抗上、自衛しておかなくてはならぬのであった。
しかしながらやっぱり、「運命」にはかなわない。
一枚、役者が上手である。
こんどは思いがけないところをやられた。
私が小さな小さな別荘を持っている村の、
仲良くしている青年団長の秋月さんをふくめた、
一村四十戸が、山津波に押し流され、
村ごと埋没してしまったのである。
(次回へ)