・明石の君は、
ちい姫を手放す辛さが消えたわけではない。
けれども、それがちい姫のためだと、
必死に堪えているのだった。
「あなたとも別れなければいけないわね」
明石の君は乳母にいった。
「明け暮れの物思わしさも、
あなたと語り合ってなぐさめてきたのに、
あなたとまで別れることになろうとは・・・」
乳母もそれを聞いて涙をこぼした。
「ほんとうに、
不思議なご縁で、お目にかかってから、
長いことご親切にして頂きました。
お心づかいは忘れません。
またおそばで暮らさせて頂く日が、
きっと参りましょう。
でもしばらくは、
はなればなれになって、
知らない人のあいだに交じるのが、
不安でございます」
などといいつつするうち、
十二月になった。
雪、あられの降る日が多い。
明石の君は心細さまさって、
わが身を嘆いた。
やがて間もなく、
わが手から連れ去られるわが子、
と思うと、いとしくて、
ちい姫をひしと抱き、
髪をくしけずったり、
着物を着せたりした。
「離れていっても、
お便りは下さいね」
明石の君は乳母にいった。
源氏が訪れた。
ちい姫を迎えに来たのだった。
いつもは嬉しい源氏の訪れが、
今日は恨めしかった。
ちい姫を手放すことは、
最終的には明石の君の決断であった。
もし自分が拒否したら、
決して源氏は無理に奪い去りは、
しなかったであろう。
(なんで承知したのかしら)
いまさらのように明石の君は悔やんだが、
強いて心をしっかり持った。
姫君はもう慣れた様子で、
「お父ちゃま」
と源氏の前に坐った。
この春からのばしているちい姫の髪は、
肩のあたりでゆらゆらと、美しい。
ぱっちりした黒い瞳、
ふっくらとした頬、
目もとの愛らしさ、
この姫君をもうけた明石の君との、
宿縁の深さが源氏には思われる。
こんな可愛い子を手放す明石の君の、
悲哀と辛さが思いやられて、
源氏は心苦しい。
ちい姫は、無心に、
牛車に乗りたいとせかせていた。
車のところまで、
明石の君はみずから抱いて連れて出た。
「お母ちゃまも一緒、一緒ね?」
とふり仰ぐので、
明石の君は目もくらむ思いがした。
(こんどはいつ会えるのかしら?)
明石の君は声を放って泣くのであった。
源氏は心痛んだ。
姫君のお供には、
乳母と少将という上品な女房だけが、
お守りの剣や人形などを持って乗った。
道すがら源氏は、
あとへ残った明石の君を思いやって、
(なんという、
罪深いことをしたものか・・・
それもこれも、自分が蒔いた種なのだ)
と考え沈んでいた。
人を愛することが、
人を傷つけることになってゆく自分の宿命を、
源氏は呆然と思い返す。
暗くなって二條院へ着いた。
華やかな雰囲気で、
大堰の山里とは様子がまるで違う。
姫君のために西面の部屋を格別にととのえ、
準備されていた。
姫君は途中で寝込んでしまっていた。
車から抱き下ろされても泣いたりしない。
紫の君の部屋でお菓子を食べていたが、
ようようまわりを見まわして、
母君の見えないのに気付き、
泣き顔になって、
「お母ちゃま・・・」
と呼ぶ。
いそいで乳母が呼ばれ、
何かとなぐさめ、
気をまぎらせた。
それを見るにつけ、
源氏は、明石の君の淋しさを、
思いやらずにいられない。
ちい姫を可愛いと思う心は、
そのまま明石の君の傷心への同情になる。
しかしまた、
愛する紫の君と、
これから二人でこの可愛いものを、
思うまま養育してゆくのだと思うと、
嬉しくもあるのだった。
(この人が姫君を抱いていると、
まさしく似合いの母子だ・・・
どうしてこの人に出来なかったのか)
源氏はさすがにそれが残念だった。
(次回へ)