むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

28、ねぎま鍋

2022年04月01日 09時48分15秒 | 田辺聖子・エッセー集










・朝日新聞に、オランダ・ライデン大学コレクションの、
日本の幕末の写真のことが出ている。(1986年1月16日)
近々写真展があるそうである。

私は写真屋の娘のせいか、
古い写真に興味があって、
古本屋で売り出されたりしている、
「大阪の古写真」なんかを買うことがある。

この間、ニューヨークへ行った時にも、
骨董市で古い写真アルバムを買ってきた。

どこの誰ともわからないが、
家族の肖像らしく、ずいぶん古い。

人には、
「気色悪い。他人の写真なんか」といわれるが、
私はこれが道楽なんである。

向こうの人は家族の写真を売ることがあるのか、
古い写真がどっさりと、古い絵葉書などとともに、
店頭に積んであった。

そういえば日本の骨董屋・古道具屋でも、
出征兵士をかこんだ記念写真とか、
二重橋に出御された陛下、愛馬「白雪」にお召しになった、
若き日の軍服姿のお写真なんぞが、
額入りで店頭にあったりする。

私が見た中で一ばん古いのは、
明治天皇の皇女がたのお写真だった。

これは東北の骨董屋さんにあったが、
明治天皇は親王さんこそお一人だったが、
内親王はずいぶんたくさんいらっしゃる。
上は妙齢のおかたから、
下はややさんまで写っていらした。

この前に出た小学館の「百年前の日本」は、
モース・コレクションで、これも楽しめたが、
こちらは純然たる明治以後のものである。

そこへくると、
ライデン大学の領事だったボードウィンが集めていたので、
安政五、六年ごろから明治維新というから、
いっそう古い。

生麦事件の現場写真やヒュースケンの遺体写真もあるという。
新聞には下関戦争の写真が載っている。
仏米蘭の連合艦隊の水兵であろう。

維新のころの写真ほど面白いものはない。
ことに肖像写真が面白い。

ライデン大学のコレクションには、
諭吉や慶喜、長州藩主の毛利父子などがあるというから、
楽しみだ。

「なんでそんなもんが、おもろおまんねん」

カモカのおっちゃんは不審そうであるが、
だって写真や考古学の出土品は、
「のっぴきならぬ」「ごまかしようのない」
ところがあるやないの、そこが魅力である。

現代の写真は、やらせや合成があるが。
いや、モース・コレクションは、外人好みの、
演出があるといわれるが、それは見ればわかる。

しかし肖像などというのはごまかせないから、
限りなく興味をかきたてる。

明治維新は全く、歴史上の出来事としか思えないのに、
これを写真で見られるとなると、昂奮しないではいられない。

欲をいうと、
私は平安時代の写真があったら、どんなによかろう、
と夢想しているのである。

そんなわけで、お酒を飲みながら、
かつ、当時の写真家ベアト写すところの四カ国連合艦隊の、
下関砲台占領の百二十年前の写真を見ながら、
話はおのずと明治維新のことになる。

といったって、私はくわしい歴史は知らない。
私の知識はみな時代小説、歴史小説から出来上がっている。

だから作者のフィクションも往々史実と思い込み、
「〇〇には恋人がいたんですね」
などと架空の人物を実在と混同して恥をかく。
いいかげんなものである。

おっちゃんのほうは、
維新というと、西郷と大久保の話に落ち着く。

「大久保はんの写真も、
ライデン大のコレクションにありますか」
なんて聞く。

「さあ、それは何とも書いてません。
オランダ関係が多いようやから。
しかしそういえば、西郷さんの顔はすぐ思い浮かぶのに、
なんで大久保さんの顔は思い出せないんでしょ」

「大久保はんは人気がないからや。
かしこい人は人気がない」

「西郷さんは一生をトータルすると、辻褄の合わない人ね。
自分が一生懸命作り上げた維新と明治政府、
ちゃんと出来上がって、いよいよこれからという時に、
ストンと手放してしまって、野に下ったりする。
何や、かしこいのか、アホか、ようわからん、
というところがありますね」

「見かたによって、どうともかわるところが、
西郷はんのえらいところで」

しかしおっちゃんは、何が何でも西郷さんびいき、
というのではないのである。

「大久保はんから見たら、
そら、西郷はんはアホかもしれん。
大久保はんは近代国家を作るという青写真がある。
しかし西郷はんは、そんなことより、
政府高官、金持ちになりとうない、とか、
苦労した下級武士の仲間をほっとかれへん、とか、
どうでもええ、ことばかりにとらわれてる。
大久保はんからみたら、
何でここがわかってくれへんのや、と、
イライラしたやろ、思いますなあ」

そういう話を、長崎出島の写真など見つつ、
のんびり交わす。

「でも百年経ってみて、やっぱり人気あるのは西郷さんですね」

「そればっかりやない、
大久保はんが何ぼえらいいうても、
西郷はんという段階あってこその大久保で、
ものはすべて段階がある。
大久保はんが一足飛びに何でもでけへんのです。
西郷はんは大久保はんの段階になった」

おっちゃんはおごそかにいう。

しかし百年も経つと、
その結果も段階も飛んでしもて、人間の魅力だけ残る。

「維新のころの男の顔でいうと、私は島津斉彬がいいな。
殿さま顔だけど、榎本武揚も渋い」

維新漬けの一夜でした。
外は木枯らし、マグロのぶつ切りのねぎま鍋である。






          

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