むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

11、ねちこい

2022年01月08日 09時42分38秒 | 田辺聖子・エッセー集










・大阪弁の中で、いやらしい語感のかなり右翼に位置する、
「ねちこい」という語について考える。

「ねちこい」は、執拗、ねちねちしていることである。
しつこい、粘り強い、おもむろにわが思うところを押し進める、
というような意。

「ねちこい」の「こい」は、
しつこい、まるこい、ひやこい、などに使われるものと同じで、
もとは「ねつい」からきたのであろう。

私の母は岡山県人であるが、「あの子はねつい子や」
という風に使っていた。

この「ねつい」は西日本に広く分布した方言であるらしく、
京都、滋賀、和歌山まで使うようである。

ねつい→ねつこい→ねちこい。

あるいは「ねちねち」と「ねつこい」がくっついたものかもしれない。

ねちこい、というのはひどく陰険で奸けつな感じがある。

ネトネト、ねばねば、ねちねち、
まるで水アメか蜂蜜が手にくっついたよう。

ともかく「ね」がつく言葉には、粘着力と不気味な温順さを見せて、
その裏に秘められたしたたかなしぶとさを感じさせる。

ねたむ、ねだる・・・みな表へ出て発散するような明るい語感はなく、
「根にもつ」言葉であろう。



・男でも女でも、ねちこい人がある。

意見が違っても決して怒らない、
ここが「ねちこい人」の身上である。

「へへへ・・・」などと笑ったりしつつ、下手に、
「しかしですね、こういうことも考えられませんやろか」
とゆるゆる押し返す。

堂々めぐりを決して飽きず、
「しかしですね・・・」としぶとく食い下がる。

こういう人は、押せども、つけども、ビリッとも動かぬ。
日本人にしては珍しい性質といえる。

まだ標準語の「しつこい」は淡白な方であろう。

ねちこい商売をする人がある。

「いや~、大将、そこまで負けたら、ワテら水も飲まれしまへんがな。
今日び、水道の水かてタダとちゃいまっさかいな。
それはかんにんしとくなはれ」

などとかきくどき、にこにことそろばんを弾いて、

「ええい、しゃあない、ほならここまで」

と、相手の大将は譲歩する。
ねちこい人はため息をつき、

「いや~、かなわんなあ~、一家心中ですわ、しょうまへんなあ」

というから、言い値で手を打つのかと思うと、
さにあらず、大将の弾いたそろばんの珠をまた元通りに戻し、

「大将、もうちょっと色つけとくなはれ」と食い下がって離れない。

急かさず、あわてず、ニタニタしつつ、
被害を最小限に食い止めようとする。

そうして決して怒らない。

「へへへ・・・」「しかしですね」といいつつ、
譲らないのである。


・私は「ねちこい」性質は日本人には珍しいと書いたが、
大阪人がみなねちこいとは思えない。

大阪人は「花は桜木 人は武士」の方である。
ねちこいと淡白は半々くらいではないか。

何より、グズ、ノロマを嫌い、せっかちな大阪人。
あまり粘られると、めんどくさくなって、

「ええい、負けときまっさ!」と宣言する。

ねちこい人は決してソンはしない。
ソンをしそうだと思うと、出直して、あくる日また、
「しかしですな・・・」とやらかす。

このねちこい人種のうち、女のねちこいのは処理に困る。
姑、小姑、がねちこくいびっているのは、
男には出来にくいことである。

ねちこい女に、あたまのいいのはいない。
ネチネチと同じことばかり言い、
相手の言葉尻を捉え、あげ足をとり、一向にホコを収めない。

私はねちこい女だけは友人に持ちたくない。

おかしい言葉では「ねちこち」というのがある。

また「ネソ」という言葉があり、
むっつりした口数の少ないおとなしい人のこと。

ねちこいは法にふれることはしないが、
ネソは、もしや、という臭みもある。

犯罪者が挙げられると近辺の人は、
ビックリ仰天して、あんなおとなしい人が!と、
驚くことが多い。

これつまり、ネソがコソするという。

ネソがコソする、というのは、虫も殺さぬ、無垢な娘さんが、
いつの間にかぼてれんになったりすることを指す。

ぼてれん、というのは妊娠の大阪弁。






          

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