・大阪弁の中で、いやらしい語感のかなり右翼に位置する、
「ねちこい」という語について考える。
「ねちこい」は、執拗、ねちねちしていることである。
しつこい、粘り強い、おもむろにわが思うところを押し進める、
というような意。
「ねちこい」の「こい」は、
しつこい、まるこい、ひやこい、などに使われるものと同じで、
もとは「ねつい」からきたのであろう。
私の母は岡山県人であるが、「あの子はねつい子や」
という風に使っていた。
この「ねつい」は西日本に広く分布した方言であるらしく、
京都、滋賀、和歌山まで使うようである。
ねつい→ねつこい→ねちこい。
あるいは「ねちねち」と「ねつこい」がくっついたものかもしれない。
ねちこい、というのはひどく陰険で奸けつな感じがある。
ネトネト、ねばねば、ねちねち、
まるで水アメか蜂蜜が手にくっついたよう。
ともかく「ね」がつく言葉には、粘着力と不気味な温順さを見せて、
その裏に秘められたしたたかなしぶとさを感じさせる。
ねたむ、ねだる・・・みな表へ出て発散するような明るい語感はなく、
「根にもつ」言葉であろう。
・男でも女でも、ねちこい人がある。
意見が違っても決して怒らない、
ここが「ねちこい人」の身上である。
「へへへ・・・」などと笑ったりしつつ、下手に、
「しかしですね、こういうことも考えられませんやろか」
とゆるゆる押し返す。
堂々めぐりを決して飽きず、
「しかしですね・・・」としぶとく食い下がる。
こういう人は、押せども、つけども、ビリッとも動かぬ。
日本人にしては珍しい性質といえる。
まだ標準語の「しつこい」は淡白な方であろう。
ねちこい商売をする人がある。
「いや~、大将、そこまで負けたら、ワテら水も飲まれしまへんがな。
今日び、水道の水かてタダとちゃいまっさかいな。
それはかんにんしとくなはれ」
などとかきくどき、にこにことそろばんを弾いて、
「ええい、しゃあない、ほならここまで」
と、相手の大将は譲歩する。
ねちこい人はため息をつき、
「いや~、かなわんなあ~、一家心中ですわ、しょうまへんなあ」
というから、言い値で手を打つのかと思うと、
さにあらず、大将の弾いたそろばんの珠をまた元通りに戻し、
「大将、もうちょっと色つけとくなはれ」と食い下がって離れない。
急かさず、あわてず、ニタニタしつつ、
被害を最小限に食い止めようとする。
そうして決して怒らない。
「へへへ・・・」「しかしですね」といいつつ、
譲らないのである。
・私は「ねちこい」性質は日本人には珍しいと書いたが、
大阪人がみなねちこいとは思えない。
大阪人は「花は桜木 人は武士」の方である。
ねちこいと淡白は半々くらいではないか。
何より、グズ、ノロマを嫌い、せっかちな大阪人。
あまり粘られると、めんどくさくなって、
「ええい、負けときまっさ!」と宣言する。
ねちこい人は決してソンはしない。
ソンをしそうだと思うと、出直して、あくる日また、
「しかしですな・・・」とやらかす。
このねちこい人種のうち、女のねちこいのは処理に困る。
姑、小姑、がねちこくいびっているのは、
男には出来にくいことである。
ねちこい女に、あたまのいいのはいない。
ネチネチと同じことばかり言い、
相手の言葉尻を捉え、あげ足をとり、一向にホコを収めない。
私はねちこい女だけは友人に持ちたくない。
おかしい言葉では「ねちこち」というのがある。
また「ネソ」という言葉があり、
むっつりした口数の少ないおとなしい人のこと。
ねちこいは法にふれることはしないが、
ネソは、もしや、という臭みもある。
犯罪者が挙げられると近辺の人は、
ビックリ仰天して、あんなおとなしい人が!と、
驚くことが多い。
これつまり、ネソがコソするという。
ネソがコソする、というのは、虫も殺さぬ、無垢な娘さんが、
いつの間にかぼてれんになったりすることを指す。
ぼてれん、というのは妊娠の大阪弁。