むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

12、あんだらめ

2022年01月09日 09時22分21秒 | 田辺聖子・エッセー集










・上方弁(大阪弁)を国会で使えば、
国会の乱闘は起きないであろう、とはよく言われる。

野党に突っ込まれた首相、

「あんさんの言わはる通りだす。
ワテらも出来るだけ早う結論出して、あんばいしよう思て、
今、せえだい(精出して)検討しとりますねやけど、
あっちゃこっちゃスカタンだらけで、
何し、こういうことは時間かけなあきませんよってに、
そないすぐに言わはったかて、無理でおます」

などと答弁していたら、
代議士はしびれを切らしてみな帰ってしまうであろう。

笑い話に、昔の京都では馬子が馬を引くのに、

「しっかりおしんか、おみあしが曲がってまっせ」

馬の方もみやびやかで、

「そうどっせな、かんにんどっせ」と答えたという。

尤も京のケンカは丁々発止というのはなく、
しんねりむっつり、だんまりのうちにやりあう。

京都人の気質、
<ああうれし 隣の倉が売られゆく>

大阪人気質、
<エライことできましてんと 泣きもせず>

こういう考え方では白熱したケンカになりようがない。

しかしながら、大阪でも罵詈讒謗の言葉はあり、
ケンカの時に相手をののしる語としては、

「おんどれ」
「われ」
「ガキ」

などがあり、相手が若い時は、
「小便(しょんべん)タレ」などと言う。
女の子を指すときもあり、そういう時は「小便臭い」という。
まだおしめの取れていないガキという意味である。

何でも「ド」をつけると罵倒用語が侮辱用語になり、
女をののしる時は「ドスベタ、ドタフク」などと言う。

ドタフクはお多福を強めたもので、
「ドアホ」と言うと、やわらかみは全く失われる。

「ド」というのは、はなはだ品格のない言葉、
仮にも教養と見識ある紳士淑女は使ってはならない。

だから「ド根性」などというのは、言ってはいけない。
「根性」というのも、元来の意味は「根性が悪い」などと使い、
「性根がある」といった意味ではなかった。


・図体、体格のことを「カラ」という。
むやみに大きな体格のことを「ドンガラ」という。
「カラ」に「ド」がつき、はねたのである。

「あんだらめ」というのがあり、
早口でやられるとスペイン語のようであるが、
「あほんだらめ」が詰ったものである。

あほんだら、は「阿保太郎」と擬人化したもの。

大阪弁の罵詈讒謗は語尾変化に特徴がある。

「・・・くさる」
「・・・さらす」
「・・・けつかる」
「・・・こます」などがある。

「なに吠たえくさって、このあま」
などと男に一喝されると、女はちぢみあがる。

「くさる」も「さらす」も動詞連用形につくもので、
「何さらしけつかるねん」などと卑語が二つくっつく場合があり、
大阪弁はケンカの時さえ冗長である。

命令形になると、「さらせ」「くされ」などと言う。

夫婦喧嘩、「出て行きさらせ」男は言い、
女が荷物をまとめて出ようとする。

「このドアホ、どこへ行きさらす」と引きとめ、
女はマゴマゴし、男はさらに、

「何をボヤボヤしくさる、さっさとメシでも炊きやがれ」

などと言う。私はこんな男と女の関係が好きである。

「こます」は自分の動作につける言葉。
「言うてこましたった」などと使う。

「こます」も古い言葉で「どついてこました」などとある。

近松門左衛門の「女殺油地獄」にも、
「あんだらめには こぶし一つあてず」とある。
このあんだらめは、不良青年、河内屋代兵衛である。
度重なる非行に母親さえののしる。

「こます」も「あんだらめ」も「さらす」も古語であるが、
日常語に昇格することはない。

言葉は日々変貌するものながら、
ケンカ用語は二百年経ってもケンカ用語である。

「いてこましたった」と言えば、
相手をノックダウンさせる、再起不能にさせるという意味の他に、
「してやったり」という勝利感も含まれる。






          

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